原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

2019-01-01から1年間の記事一覧

醜い僻み。

少なくとも「美形」と称される容姿に生まれた人間は、その人生において「悩むこと」、その行為の一切の正当性を欠くことになろう。 生まれた時点で得難い幸福を享受してしまっているのだから。 故に生じる労苦はその代償の名の下に全てが正当なものとなる。

贅肉は要らない。 健全な肉感的体躯よりは老的骸骨でありたい。

布団を被り、沈降する。 醜く苦しい外の世界。 ここはシェルター。 全身を布団に埋めた時、世界は消滅する。 ここだけが唯一絶対の地である。 己のみの実存が確保される。 安寧の足場。

己が認識する私の声と、他人が認識する私の声は全く異なり、後者は決定的に醜い。 この恐ろしい断絶は、決して認識するべきではない。

時たま思考が変な高みに行くことがある。 その時は、自分の実在に対する異常な懐疑、話の通じない狂信者の集団に放り込まれたような恐怖、人間の中身の赤黒い色彩についての生々しい吐き気などの、なんとも心騒ぐ考えが堂々巡りを起こすのである。

ショーペンハウアーの刑罰観。 罪を犯した者は一切の人権を奪われ、国家が民衆に対し、秩序を犯す者はこのような目に遭うというものを示す(記述上の刑罰の形骸化を防ぐ)ための道具として扱われる。 この方式の運用には徹底した冤罪の防止が必至ではあるが…

「人として云々」と言った語り口は、道徳や倫理を説く時によく用いられるが、それはあくまで社会(=ある程度の不利益を被る代りに独り生きるよりも多くの利益を得られるべき群)秩序の維持にのみ用いられるべき(人殺しをしてはいけない=群の中での自己安…

経験的事実、あるいは未だ反例が発見されていない自然法則について、その普遍性、絶対性は何に根拠を有するのだろう。 または、人間が次の瞬間突然に消え失せると言った一見荒唐無稽な説は、如何様に否定されるだろう。 反証不可能なものは絵空事であり、そ…

毎朝、鏡を見て吐き気を催す。 徹底的に醜い容姿。 醜い鼻声。 殴りたくなる。 顔の皮を剥いでしまいたい。 こんな気持ち悪い容姿の化け物が街を歩くのは害悪であろう。 ただ、醜い。

何故人間は、少なくとも学問において、人間の為の諸事に人生を費やさねばならぬのか。 あるいは、何故人間の学問的諸事は「人間の為」に還元されるのか。 「学問は全て人間の為のものである」と言われればそれまでだが、星の数ほどある学問領域の一端に、例…

私はものをあまりにも知らない。 それは教養から娯楽に至るまで、すべてに当てはまる。 話題についていけない人間は屑である。 そんな奴は、ただ曖昧にぎこちなく笑いながら己の知らない話題を傍観するのがふさわしい。 楽しくはない。 最も、物を知らない屑…

神は一言申された。 「猫が足りない」 すると猫があった。

人は存在するだけで他人に害を与える。 万人がこのことにもっと自覚的であるべきだ。

「『自由に生きるのは勝手だが、それは自己責任だ』みたいな話があるじゃない」 「あれって結局なあなあで生きていても、なんだかんだ責任ってついて回るよね」 「責任に自覚的なのが自由で、そうでないのが不自由なのかしら」 「責任に縛られたものを自由と…

布団は神聖不可侵である。 それを纏う者には絶対の安寧と安眠を。 それを冒涜する活動的な衆愚には疫病と破滅をもたらす。 今念じれば、きっと布団は空一面に広がり、一限などという冒涜を容認する汚れた学府を塵屑に帰するだろう。

私がいかに数学を、いや算数を不得手とするか、知った人は愕然とするだろう。 いや、本当に、冗談抜きで、考えることすら出来ないんだってば。 多分皆さんが考えている数万倍はやばいはずだ。 冗談では無いからな。

「ユーモアが理解できていない」とある人に言われたことがある。 そうなのか、と思った。 しばらくして、 「あの時のあの行動は、おかしいのではないか」と同じ人から怒られた。 個人的にはユーモアだと思っていたし、なんならクラス(卒業式での一幕だった…

わざとらしい無視は当然苦痛である。 しかしことあるごとにこちらに投げかけられる不審の目線も同じほど苦痛である。

ありとあらゆる人間はその存在からして徹底的な害悪である。「他者」・「社会」の概念が存在する以上、何もしない基本的状態において己の存在は他者にとっての負担でしかなく、己にとっての他者も同様である。 道を歩けば人間は道ゆく他者の障害物として害悪…

弁明のしようのない自分勝手な欲望であっても、少なくとも発議や物事の動機としては十分だろう。というか、この世の動機で自分勝手でないものがありうるだろうか。 問題はその徹底的に利己的な意見を、いかに必然性のある、論理的なものに化かすかである。

自分の意見ほど信用のおけないものは無い。 なぜなら、自分の意見、すなわち私の中から精製した意見というものは、生まれてからこれまでに蓄積したありとあらゆる偏見をはらんでいるためだ。 少なくとも、個人の発した意見でこの偏見を免れるものは皆無であ…

雑文「夜の研究」

博士は一人、夜を取り戻す研究をしていた。空をさかなが泳ぎ、猫が転がるあの夜を取り戻す研究。ずっと記録してきたデータから、この研究のキィはカラスにあることを突き止めた。水を張った大瓶にチューブを接続しているうちに夜が明けた。ビルの隙間から差…

科学を永遠の推敲と捉えるならば、科学的手法において絶対的な真理などありえないのではないか。

理解しようとする者は凡人である。 容易に直感的理解が可能な者は天才である。 理解しようとして、いくら時間をかけようと容易に理解出来ぬものは屑である。 よって、筆者は屑である。

雑文で発表したのをもう一つ。 こっちはまだ完成前。 胸糞な駄文。 ここから。 わるもの あるところに、わるものと云うものがいた。わるものは、わるものであるゆえに、人の不幸を好んだ。どうしようもない苦境にある人間を眺めることは、わるものの生きる糧…

山椒魚

雑文同好会にて提出したものを一応載せておく。 はじめてのしょうせつ。 ここから テーマ:山椒魚 大学生の日常の中で、「人間が消える」というのは日常茶飯事である。一限からの失踪、楽単からの失踪、そして大学からの失踪等々。大抵の場合、「失踪」とい…

真摯で愚直な自己紹介

今日は自分の醜さについて語る。おそらくは罵詈雑言の嵐になると思われる。 しかし、ここは「読むのは自己責任」と銘打っている場所であるので、どんな内容でも気にすることはなかろう。 私の汚点。 汚点と言えば何であろう、おそらくはこの醜い卑屈さか。し…

梅原猛著「地獄の思想」を読み終えたので、考えたことなどを書いておく、素人の薄っぺらい感想であり、言うまでもなく価値はない。きっと的外れなものである。そもそもこんな風に逃げ口上をグダグダと並べている時点で、内容は推して知るべしというものであ…

HPラヴクラフト著「狂気の山脈にて」考察 本記事は、高校時代のメモをもとにした、HPラヴクラフト著「狂気の山脈にて」の考察をもとにした記事である。メモ全文を書き写したのち、現在の、及びメモに対する再考察を行う。 メモ HPラヴクラフト著「狂気の…