ありとあらゆる人間はその存在からして徹底的な害悪である。「他者」・「社会」の概念が存在する以上、何もしない基本的状態において己の存在は他者にとっての負担でしかなく、己にとっての他者も同様である。
道を歩けば人間は道ゆく他者の障害物として害悪であろう。そのため、単に障害物であることに甘んじる私のような愚人よりも、着飾り容姿を美しく保つ人間や、道の整備に徹する人間に社会は価値を見出す。他者との関係に過度にこだわる社会において、ただ害悪であることに甘んじる人間は負担であり、害悪そのものであり、醜い不快物である。
であるから、全ての人間は一度、万事において、自分が周囲について徹底的に害悪であることを自覚し、その不断の反省によって価値を付加することで居場所を確保するのが良かろう。
そのことに無自覚な人間や集団は排除されるべきである。文句を言っても良いが、それに聞き入れる価値はない。
その理を受け入れられないならば、このような社会を異常な盲信的害悪とみなし、徹底的に破壊するほかない。