原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

わざとらしい無視は当然苦痛である。 しかしことあるごとにこちらに投げかけられる不審の目線も同じほど苦痛である。

ありとあらゆる人間はその存在からして徹底的な害悪である。「他者」・「社会」の概念が存在する以上、何もしない基本的状態において己の存在は他者にとっての負担でしかなく、己にとっての他者も同様である。 道を歩けば人間は道ゆく他者の障害物として害悪…

弁明のしようのない自分勝手な欲望であっても、少なくとも発議や物事の動機としては十分だろう。というか、この世の動機で自分勝手でないものがありうるだろうか。 問題はその徹底的に利己的な意見を、いかに必然性のある、論理的なものに化かすかである。

自分の意見ほど信用のおけないものは無い。 なぜなら、自分の意見、すなわち私の中から精製した意見というものは、生まれてからこれまでに蓄積したありとあらゆる偏見をはらんでいるためだ。 少なくとも、個人の発した意見でこの偏見を免れるものは皆無であ…

雑文「夜の研究」

博士は一人、夜を取り戻す研究をしていた。空をさかなが泳ぎ、猫が転がるあの夜を取り戻す研究。ずっと記録してきたデータから、この研究のキィはカラスにあることを突き止めた。水を張った大瓶にチューブを接続しているうちに夜が明けた。ビルの隙間から差…

科学を永遠の推敲と捉えるならば、科学的手法において絶対的な真理などありえないのではないか。

理解しようとする者は凡人である。 容易に直感的理解が可能な者は天才である。 理解しようとして、いくら時間をかけようと容易に理解出来ぬものは屑である。 よって、筆者は屑である。