原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

山椒魚

雑文同好会にて提出したものを一応載せておく。

はじめてのしょうせつ。

 

ここから

 

テーマ:山椒魚

 

大学生の日常の中で、「人間が消える」というのは日常茶飯事である。
一限からの失踪、楽単からの失踪、そして大学からの失踪等々。
大抵の場合、「失踪」といっても、たまに構内でひょっこり出くわしたりと、何らかの形で生存確認が為される。
しかし、この大学生が以来人目に触れることはなかった。
彼の存在を気にかける者がなかったためである。

 

ことの起こりは夏休みまで遡る。
この大学生―便宜上Kとしておこう―は、かねてから楽しみにしていた旅行に一人旅立った。
行き先は京都。
これは「自由」を求めての旅路であった。
Kは高校時代、修学旅行で京都に滞在したことがある。しかし、規則に縛られた旅というものは、Kにひどく退屈な、鬱々とした感情を抱かせた。
丁度このとき、Kは京都を舞台にした小説を読んでいた。そこでは、京都はかなりの幻想的・誘惑的誇張が為されていた。Kはこれにかぶれ、若人特有の妄想力を持って「京都」という街を認識していたのである。
結果として、「修学旅行」という行事は、Kの精神を大きくえぐることとなった。
現実というものは、夢想者にとっては凶器でしかない。
しかし、まだKは絶望していなかった。この幻滅は、ひとえに修学旅行の拘束性が生み出したものであると自身に言い聞かせ、再度上洛の機会を伺っていたのである。


こういうわけで、再び上洛を果たしたKは、期待に胸を膨らませていた。
期待で膨れ上がった思考は、脳内に幻想の街「京都」を作り上げる。
そこには、退屈な「日常」は存在せず、見渡す限り「へんてこ」な町があった。ひょっとすれば、天狗が跋扈し、魑魅魍魎が歓談していたかもしれない。
そこに、視覚からの「現実」がなだれ込んだ。
あわれ、幻想は現実に蹂躙され、粉々に崩れ落ちる。
現実が、天狗とともに舞い上がったKの足をつかみ、地面に引きずり下ろす。
地面にたたきつけられたKを「現実」はこれでもかと殴打した。
滲み出る徒労感・絶望・虚無。
少なくとも感想は一言に尽きた。
「なんか違う」
何がいけないのかが一目瞭然ならばまだよい。しかし、この漠然とした、しかし圧倒的な不満感は振り払おうとしても払いきれず、刻一刻とその体積を増大させていく。
Kをさらなる絶望の淵に追いやったのは夜の散策であった。
夜の先斗町
酔いを求めて嬉々として連れ立ち歩く若者のグループ、カップル、外国人観光客。
そして鴨川等間隔の法則
独り旅、そして酒が飲めず。
孤独感が妄想癖と手を組んで、恐ろしいほどにKを締め付けた。
酔いを求めようにも、酒が飲めない。
周囲の何気ない笑顔が、Kにとっては自身に向けられる悪意、敵意にしか感じられなかった。
かつて、西洋の哲学者ショーペンハウアーは孤独を礼賛する掲句を多く残した。
つらつらとそんなことを思い浮かべながら、Kは独り叫んだ。
「孤独を称えるものは幸せである。なぜなら彼は孤独を知らないからだ」

 

精神的満身創痍となったKは、気が付けば京都水族館の前にいた。
何かに引き付けられたような気がしないでもない。
ふらつく足取りで水族館に侵入したKの目に飛び込んできたものは、醜悪な化物であった。
山椒魚。醜い。ひどく醜い。
いびつに膨らんだ巨体から無様に生えた短い四肢、弛みきったどす黒い体表、その存在意義が問われるほどに退化した眼球と、欲望の権化であるかのような大顎。
水槽の端に折り重なるようにして横たわるその群れは、およそ京都中の穢らわしい概念を押し込んだがごとくの嫌悪感をKに与えた。
これはまるで、私ではないか。
Kは半ば吐き気を催しながら、その場から逃走した。
大型水槽の前で仲睦まじく語らうカップルの死体蹴りを受けつつ、光に誘われる虫畜生のようにKは売店に迷い込んだ。
もはや自立する力はなく、壁に身を預ける。
その刹那。
Kは壁に飲み込まれるような感覚を得た。
山椒魚
ショップの壁を埋めるように詰め込まれたそれは、一見異様な風景を作り出していた。
もふもふの、ふわふわ。
そんな形容詞が似つかわしい、九〇センチほどの山椒魚のぬいぐるみ。
透き通ったビーズ目が、もふもふの総体に活力を与え、一つの愛くるしい概念として完成されたそれは、Kの精神にすさまじい電撃を食らわした。
これが、先ほどの化物だというのか。あんな、醜悪の総体が、このようなものに、化けるのか。
混乱し、錯乱したKの精神は、しかし一方で己のうちに確固たる、一つの衝動を見出した。
欲しい。
この安寧の象徴を、なんとしても手に入れねばならぬ。
しかし彼はまだ理性的であった。
むさくるしいなりの大学生が、抱えるほどのぬいぐるみを買っていく。これは「キモチワルイ」と呼ばれるに値する行為ではないか?レジのおねーさんに内心軽蔑されるのではあるまいか?大体こんな巨大な物体をホテルまで持ち帰るのは悪目立ちが過ぎるのではないか?こんなものにウツツを抜かせば、郷里の父母が泣くのではないか?等々。
何もせずこの場を立ち去るには十分すぎるほどの言い訳が次々と浮かぶ。
しかし壁に並んだ無数のビーズ目は、Kの暴走寸前の衝動に悪魔的な誘惑をもって囁きかけた。
水族館は閉館間際、人影はまばらだ…。
ひとたび肯定的な意見が浮かんだ刹那、気づけばKはふわふわな壁に手を突っ込み、そのうちの一体を引っ張り出していた。
うつむいたまま、足早にレジに向かう。
おねーさんは、雨に濡れないようにと、二重の袋にヌイグルミを包んでくれた。
買った。買ってしまった。
興奮と不安とがないまぜになった不思議な気分に半ば放心状態になりながら、Kは水族館を後にした。背後でおねーさんが「オオサンショウウオのお買い上げ、ありがとうございます!」と元気良く叫んだが、Kの耳には届いていなかった。
旅行から帰還したKは何よりも先に山椒魚の荷解きをした。
万年床に鎮座したもふもふの塊は、不思議な安心感を与えるものであった。
もはやKは、山椒魚の購入に関する一切の負の感情を失った。
Kは思い切って山椒魚を抱きしめた。
心地良い安心感がKを包んだ。
己の中に巣くう負の総体が一掃されていくように感じた。

 

休みが明けた。
Kの生活は、すでに前期の鬱々としたそれとは異なっていた。
Kは毎朝、一種爽快な気分で登校した。
自然な笑顔が増えた。これが幸いし、幾人かに昼食に誘われるようになった。
客観的に見たKは、友人たちとたのしげに語らう、よくいる大学生のそれであった。
このときのKについて、興味深い逸話がある。
ある日の昼食の席にて、誰かがKに最近凝っているものについて尋ねた。
Kはこう答えたそうである。
山椒魚、これに尽きる。あれは良い。あれといると生きているという感じがするんだ。あれは生活に活力を与えてくれる。あれを抱くと嫌なことは綺麗サッパリなんだよ。言い方は大げさだけれど、僕は山椒魚に生かされているのかもしれない。フフフ。山椒魚山椒魚…」
歓談中の些細な一コマであったのと、Kのつぶやくような声量のため、特に気に留めるものはいなかった。別の証言によれば、その後もKは同じようなことをボソボソとつぶやいていたという。終始自然な笑顔であったそうだ。
事実、Kが山椒魚に生かされているというのは、虚言ではなかった。
万年床で山椒魚を抱きしめている間がKにとっての至福であった。
劣等感、無力感、虚脱感、そして己のウンザリするほどの醜さ。
以前は絶望の種であった一切が、山椒魚のもふもふによって打ち払われ、後には幸福と安寧が残った。程よい手触りは、Kに心地の良い睡眠と、爽快な目覚めを与えた。嫌なことがあると、自宅に戻り山椒魚をより一層強く抱きしめた。
Kは、山椒魚を愛し、山椒魚を崇拝するようになった。
休日は、日長一日山椒魚を抱きしめるか、あるいはふざけて山椒魚を礼賛する詩を作り悦に入ったりした。
思考の中心に山椒魚が据えられ、あらゆる幸福な事象の根源が山椒魚に帰結した。
当然、理性的思考は失われていった。
また、山椒魚はKの怠惰を受け入れた。
山椒魚を抱きしめさえすれば、それだけで充実した一日を過ごしたかのように思えたのである。
当然、成績は一気に下降した。
しかし、これによる焦燥感も、山椒魚の中に消えてく。
むしろ成績の悪化により、Kはより一層山椒魚にのめりこんだ。常に頭の片隅に山椒魚が棲み、不安になるとすぐに脳内で抱きしめた。
笑みはいつしか行き過ぎた不自然なものに変わり、昼食に誘う人間は消えた。もちろんこの不安も山椒魚に還元される。
試験期間が終わったある日、Kの担当教員は異様な答案を目にした。
解答欄、否、その欄外に至るまで、「山椒魚」の文字に埋め尽くされた答案である。
解答者の記名はなかった。

 

Kが山椒魚と戯れる時間は日に日に長くなり、講義は休みがちになった。
たまに講義に出ても、不自然にはにかみながら座っているだけであった。
ある時、終始はにかんでいたKの様子に関心を持った女子が、何か面白いことでもあるの、とKに訪ねた。
Kは答えた。
「あはは、山椒魚
片隅に棲んでいた山椒魚が生息域を広げ、Kの脳内はいつかの水族館のあのもふもふとした壁面のごとく変容し、なんだかとても手触りのよいものになった。
Kの隣人は夜な夜な意味不明な歌を耳にするようになったという。
しかしその詳細な内容については、誰にも明かすことはなかった。
一身上の都合で休学届を出す際、隣人はその友人にただこう繰り返した。
「あれほどに柔らかい歌を聞いたことはない。声は汚いんだが、なんだか手触りのよい旋律でね。しかしそれでいて何か不安感を煽られるんだ。何か、ふわふわの物体が迫ってくるような…。イヤ、これはただの例えなんだけれど。なかなか収まらないんで壁を叩いたら、しばらく静かになる。でも、またすぐに聞こえてくるんだ。あるとき耐えかねて管理人さんに注意をお願いしたよ。それにしても不思議な歌だった…。ウム…山椒魚…ね…」
注意を依頼された管理人が、部屋に入った時には、すでに部屋はもぬけの殻であった。
ハテ、部屋を間違えたか。
管理人は帳簿を確認したが、Kという人物は入居していなかった。
不思議とそれ以上確認する気が起きず、住人の勘違いだろうと解釈した。幸い報告してきた住人が早々に引っ越していったので、それ以降のイザコザは起こらなかった。
以来、Kの姿を見たものはいない。
もっとも、その安否を気に掛ける人間は、誰もいなかった。

 

Kは夢を見た。
目の前には一面に山椒魚が転がっている。
後ろで何やら喚き声が聞こえたので振り返る。
そこにはKがいた。
人になじめず、孤立し、落ちぶれ、何より醜かった。
Kは顔をしかめ、一歩後退る。
片足が、ふわふわの海に沈んだ。
Kは足元を見る。
山椒魚
Kはにっこり笑った。
二、三回、元気よく伸びをしたのち、Kは広大な海に飛び込んだ。
山椒魚の海は、やさしくKを飲み込んだ。
とても幸せだった。

(おしまい)

 

 

 

 

 

自己評
言い訳でしかないのですが、はじめての創作のため、内容はかなり支離滅裂かつ急展開です。
とにかく入れてみたい表現を適当に詰め込んでみた感じになりました。
あと、書いていて思ったのは、「~た。(又は、~だ。)」で完結する文が非常に多い点ですかね。
このせいでただ短文を並べただけのような見栄えになりました。つながりをどうしたものか。
雰囲気等はラブクラフト森見登美彦あたりを想像しながらやりました。
主人公の狂っていく様と、はっきりとした結論が出ないまま終わる感じです。
お察しの通り見事に失敗していますが。
あと、内容はもちろんフィクションです。Kというのも誰をモデルにしたとかではありません。
くれぐれも誤解なきよう。
駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
意見・感想などはオブラートに包まず遠慮なくお願いします。
文責:原田航佑

 

ここまで。

 

おしまい。