原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

2021-01-01から1年間の記事一覧

日記 21/11/10

私はこれから馬鹿げた話をする。 日常で感じたふとした不安を、たまたま目に入ったネットニュースと混交させて、陰謀論じみた被害妄想じみた疑問の表明を行い、個人的な信条を記述する。 これはきっと、私が思う以上に人の好むものではないのだろう。なぜな…

卑屈な自己認識

あらゆる穿った見解、呪詛的否定、風刺と皮肉は、それらが自身になんらかの絶対的な正当性を見出し始めたあたりから、単なる(というよりは厄介な、対話不可能な)陰謀論に堕していく。 およそ徹底的でない人間、自身の信仰を極限まで実践することのできない…

意志の研究(断片①)—ある怪物の誕生—

これまで存在を規定していた「芯」のようなものがすっかり抜け落ちたような、あるいはたんてきに憑き物が落ちたような有様で、彼は窓際の席に腰掛けていた。 声をかけると、彼は力なく微笑んで、痩せ細った腕を振って私を席に誘った。 窓の外は昼間にかけて…

こうなってしまったらもうどうにもならないこと。

「昨日、非常に恐ろしい映画を観たんだ。銃を乱射する人間が突然現れて、周りの人間は悲鳴を挙げながら逃げ惑う。幾人かは物陰に隠れて一時的に難を逃れるのだけど、逃げ遅れた人や隠れ損ねた人が、命乞いをしながら撃ち殺されていく様を目撃するんだ」 「そ…

教室棟の手記—自己を肥大させましょう—

自己とはそもそも肥大化するものではないかしら? 肥大する自己はしょっちゅう惨めな病理と見なされるけれど、我々が生きる「日常」なるものはそもそもそうした「肥大化した自己」なしには成り立ちえないのではないか。 「自己」が幻想であるという話はとり…

ある凡庸な書簡(所感)

これは先程の議論に対するぼくの考えだ。 もっとも、きみがきみの価値観・前提に従ってものごとを判断する限り、おそらくは未熟者の屁理屈としか映らないと思う。だから、見るに堪えないのなら、悲しいことだが、以降無視していただいて構わない。 ただ、い…

ヘルドとハインの実験(仮)

memo さて、私は確かに完璧な方法で精神を確立する方法を見出した。 私の認識、すなわち自我、私という感覚、それは単に私の脳髄、この頭の中における一切であり、だからこそ、私は極限までの精神体となって、めくるめく幻惑の世界を、まさに精神として現実…

『ソクラテスの弁明』を読んで

先週か、あるいは先々週か、試験勉強の合間に『ソクラテスの弁明』を読んだ。 世界の大思想シリーズに収録されているもので、長編『国家』と短編『クリトン』に挟まれる形で一冊のハードカバーに収まっているやつだ。 扉を開けてすぐ始まる大長編『国家』と…