原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

何故人間は、少なくとも学問において、人間の為の諸事に人生を費やさねばならぬのか。

あるいは、何故人間の学問的諸事は「人間の為」に還元されるのか。

「学問は全て人間の為のものである」と言われればそれまでだが、星の数ほどある学問領域の一端に、例え異端であっても、人間否定、人間絶滅の学説が認められても良いのではないか。少なくとも、そういった見方からの考察が無意味であるようには思えない。

主観的に、感情的に叫ばせていただくならば、人間礼賛の学問ばかりの状況には、我慢がならないのだ。

人々の幸せを打ち壊すような、笑顔を破壊するような学問の創設は、許されないだろうか。