原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

愚者

序 私には、憧れる人があった。 その憧れは、一個の灯として、私を生かしていたのだ。 1 私がまだ学を知らず、生まれ育った小さな農村で、祖母の手伝いをしていた頃の話である。私を慈しみでもって育ててくれた祖母は領主さまの屋敷に仕えており、そのかど…

みんなで笑おう。

悪とは何か。 それは害意の総称である。 悪の定義が何であれ、そこには必ず他者が存在する。 孤独者にとって究極的な悪など存在しえず、悪はただ他者の想起によって起る。 一体の個人に対する害意であったり、他者の集団に対する背信であったり。 ただ独り居…