原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

Technocracy

モラリストどもは揶揄を続けた。夥しい数の作家、学者、人文主義者、知識人がそれに続いた。山のような罵倒の文句が生産され、豪雨のような風刺画が世に溢れた。表現は皮肉が激烈になるほどに研ぎ澄まされ、批評は人を刺し貫くほどになって賞賛された。尽きせぬ揶揄と皮肉が世に渦をまき、その真意を読解できることに人々は健全を見出した。罵倒が最高潮に達した或る夜、都市に巨大な産業機械が襲来した。四足歩行の怪獣のようなそれは、「technocracy」と印字された胴体を誇示するように、一歩、また一歩と街の区画を踏み潰していった。怪獣の呼吸は汚染大気の産生であり、自壊しながら行進するその後には、もうもうと煤を吐く変質した犠牲者たちの残骸のみが残された。

明らかに、その怪獣はある風刺画に描かれた皮肉の図像だった。皮肉は洗練の過程で魔性な魅力を帯び、それを苗床にしたある純粋な想像力が、当然の帰結として怪獣を現前させたのであった。