原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

2022-01-01から1年間の記事一覧

脆い部屋

「ん?」 男はその無音の箱に手をかけようとしたところで、始終を見守っていた機械化従者から静止を受けた。 「その箱に手をかけるのはどうかご遠慮願います。それは、全く倫理的に禁止されております」 「俺がこの箱を撫でるだけのことに、一体何の問題があ…

自我とぎこちなさ

『現象学という思考』の第5章「自我」を読んでいて考えたことを記しておく。 https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480016126/ 本書は、私たちの日常の経験に照らしながら、現象学の概念を紹介していく構成となっている。 その第5章「自我」では、以…

自己を知れという要請について

「己を知ること」、少なくとも「自己を知ろうとすること」は確かに重要だ。無意味ではない。しかし、これほど答えを「確定」させることの虚しいテーマも他にない。 だってそうだろう。一体我々は何のために己を知ろうとするのだろうか。おそらく自発的に「己…

ある恐れ

何か人種差別的な考えや主張をしている人々に対して、毅然と「レイシスト!」と糾弾する人たち、そして最近は、人種差別的な人々の言説や振る舞いを、揶揄や皮肉、嘲笑を交えて「レイシスト」と指摘しているような人たち。 もちろん、彼ら彼女らが「レイシス…

M園長の笑顔

先日、非常に痛ましい事件が報道された。 幼稚園の送迎バスに取り残された園児が、熱中症で亡くなったというのである。 その後、事態を受けて園の会見が開かれたのだが、この会見がまた大きな波紋を生んだ。 会見の終了に際して、当事者であるそのM園長が、…

正当化された差別

差別というものがある。辞典で軽く調べたところによると、それはおよそ全人類平等の理念を前提する限りで、他のいかなる点から見ても不当な行為であるとされている。そしてまたその定義用法は古今東西津々浦々に多様であり、端的に言えば、どう足掻いても人…

呪われた個人——消極的差別主義者の素描——

私はここに、ある個人のありようを記述したい。 すなわちそれは「消極的差別主義者」とでもいうべき個人の在り方だ。 それは、反差別の嵐がかつてないほどに吹き荒れる現代にあって、確実に存在し(少なくとも1人いる)、苦悩しているであろう存在についての…