「人として云々」と言った語り口は、道徳や倫理を説く時によく用いられるが、それはあくまで社会(=ある程度の不利益を被る代りに独り生きるよりも多くの利益を得られるべき群)秩序の維持にのみ用いられるべき(人殺しをしてはいけない=群の中での自己安全の確保のために設けられた最低限の、道徳の皮を被った規則)であり、断じて主観による個人の精神的自由の束縛に用いられるべきではない。個人に対しこのような態度を取るならば(このような態度のもと、己の理想を強制するならば)、それは個人の行動や精神的自由に著しい影響を与える点で、相手の人生を背負う程の責任が伴うべきであろう。