原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧

自己を知れという要請について

「己を知ること」、少なくとも「自己を知ろうとすること」は確かに重要だ。無意味ではない。しかし、これほど答えを「確定」させることの虚しいテーマも他にない。 だってそうだろう。一体我々は何のために己を知ろうとするのだろうか。おそらく自発的に「己…

ある恐れ

何か人種差別的な考えや主張をしている人々に対して、毅然と「レイシスト!」と糾弾する人たち、そして最近は、人種差別的な人々の言説や振る舞いを、揶揄や皮肉、嘲笑を交えて「レイシスト」と指摘しているような人たち。 もちろん、彼ら彼女らが「レイシス…

M園長の笑顔

先日、非常に痛ましい事件が報道された。 幼稚園の送迎バスに取り残された園児が、熱中症で亡くなったというのである。 その後、事態を受けて園の会見が開かれたのだが、この会見がまた大きな波紋を生んだ。 会見の終了に際して、当事者であるそのM園長が、…