原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

ただ「サイコパス」だの「狂気」だのとして片付けるにはあまりに惜しいものがある。 時としてそれらは安息や充足を伴いながら衆愚に貶される。

メモ ショーペンハウアー的「意志」による人間関係。 「強い自我」の存在は、他人の否定と直結する。 意志の客観化は、無理に数量化するならば有限である(?)。 (この点は、荀子の思想に関連するのかもしれない。すなわち、この世に存在する「幸福」は有…

成功者のアドバイスほど不快なものはない。 成功者は皆口を閉さなければならない。

田舎は物理的に不便であり、都市は精神的に不便である。 田舎の最大の欠点はモノがないことであり、都市の最大の欠点は人がいることである。 田舎の欠点は無知により守られるが、都市の欠点は何者によっても取り返しがつかない。

私の話を聞いてくれない人の話をなぜ聞かなければならない? これまでずっと聞いてきた。そろそろ私の話を聞いてくれたっていいじゃないか。 こう思った時、すでに私の周りに人はなかった。