原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

雑文「夜の研究」

 

 

博士は一人、夜を取り戻す研究をしていた。
空をさかなが泳ぎ、猫が転がるあの夜を取り戻す研究。
ずっと記録してきたデータから、この研究のキィはカラスにあることを突き止めた。
水を張った大瓶にチューブを接続しているうちに夜が明けた。
ビルの隙間から差し込む光を受けて、サボテンが点滅する。
博士は満月のような眼を細めて、その規則正しい点滅を記録した。
「ちくしょう。また夜が逃げてしまった」

 

博士は朝がきらいだ。
光は正しいデータしか与えてくれない。
それはとてもつまらないことだった。

決定論的な世界に夢を馳せられるほど、博士は干からびてはいないつもりだった。
大瓶にコーヒーを滴下したところで、博士は今日の実験を中断した。

もっとも、何を観測しているのかは、博士自身にもわからない。

きょうび「博士」なる名称は如何なる有象無象も自称できるものである。
クルルル、と腹がなる。
笛のようなため息をついて、博士はキッチンへ向かった。
狐のお面を温めて、卵を割る。
じうじうと音を立てて、デロリとした卵が焼けていく。
すかさず達磨を打つと、ベーコンが飛び出した。

なぜなんだか。
腕の見せ所。
博士はイカのヌイグルミを器用に使って、卵の懐にベーコンを滑り込ませた。

卵に懐があるかどうかは、わからない。

(ひよこに懐があるならば、卵にもその残滓くらいはあってもよいのではなかろうか)
座禅に飽きた達磨が、ちょうどよいタイミングでこんがり焼けたトーストを差し出す。

達磨に腕はないので、これは虚無の腕である。

(つまり、トーストは宙に浮いているワケだ。不思議)
博士はトーストに混合物(ミクスチャアと云ふ)を乗せ、研究室に戻っていった。
カラスが新しいサボテンを届けに来た時、博士はまさにそのギザギザの大きな口で目玉焼きを飲み込むところだった。

黄身が流れる。

嗚呼素晴らしきまろやか。
カラスを認めた博士は、すかさずケトル(やかんと云う人もいる)からとれたてのリンゴを取り出した。

(これは世界一という品種であり、でかい)
黄身が白衣に垂れる。

汚い。
放ったリンゴをカラスが元気よくついばむのを眺めながら、チューブをダイヤルにセットする。
3分ほどで、香ばしいかほりのコーヒーが沸いた。
サボテンそっちのけでリンゴをついばむカラスを眺めながら、残りのトーストをかっこんだ。
「君はほんとうにリンゴが好きなのだね」

 

達磨で食器を磨いた(例により虚無)後、博士は研究室の本棚を見上げる。
うーむ。天井が見えない。
とりあえず、目下の研究に必要な二三の書物を引っ張り出して、それらを机に並べた。
ドイツ語で書かれた、「粒子の挙動に関するサボテン的解釈」
日本語版、「カラス的宇宙の構築」
ラテン語の、「達磨の思想」
とりあえず、「サボテン的解釈」から読むか。
博士は、日本語、ラテン語が不得手であった。

というか、触ったことがない。
博士は本を開き、ノートを添える。
ゆっくりと昇る恒星の光をうけて、淡い、青、緑、赤と点滅する、新しいサボテンの光が机を照らす。

(ここでいうサボテンとは、あのサボテンである)
カリカリとペンを走らせながら、「サボテン的解釈」を読み進める博士の表情は、シンプルな作りでありながら、とても真剣なものだった。

 

日が昇る。
辻馬車がガタゴトと音を立てて通りをゆく音で、博士は目を覚ました。
徹夜が災いして、寝てしまったらしい。
「ふはは」
欠伸をしてノートを見返すと、最初は丁寧な字であったものが次第に魑魅魍魎の羅列に化けているのが見て取れる。
腹が減った。
時刻は十二時。飯時である。
博士は先ほどの3冊とノート、そしてカメラ(高かった。店先で悲鳴を上げた)をカバンに詰め、4番目の瓶を揺らす。
瓶と同期した鶏が(虚無的同期/『布袋』より)床に散らばった実験器具、メモ等を除け、玄関までの通路が築かれた。
「今日は外食にしよう」
博士は一人つぶやいた。

Twitterではない。物理的に。
カラスはもういなかった。

 

休日の通りはいつも以上ににぎやかだった。
哲学者たちが殴り合いをしている様を眺めるアザラシたち。
そこの角でわるものが語る滑稽話に夢中になって聞き入る子供たち。
カモがフランス語で歓談しながら歩く後を必死になって追いかける鯉の群れ。
ホテイアオイを茂らせた路面電車が、騒々しく通りを横切っていった。

(一見すると緑のマッシュルームへァである)
「ごみかす」
博士はのんびりと独り言ち、あちこちガタが来ている人工山羊(生贄の要らないタイプ)に腰掛ける。
山羊は「。;:・」といって、石畳の通りをゆく馬車の列に加わった。
いつもと変わらない清々しい青空を、サボテンを抱えたカラスが飛んでいく。
ガラス張りの近代美術館を、蛸がカボチャを食べながら侵食するさまを、博士はカメラに収めた。

うーんテツガク的だ。
印刷された写真を、ノートに張り付ける。
山羊の背は揺れるので、ずれた。
石造りのいかめしい研究施設がひしめく大学沿いのブロッコリィ(もしかしてアスパラガス)並木を、山羊はチャカポコと歩いていく。
博士は山羊の背で読書を始めた。
積み上げられた小説の道を上り、透き通った瓶の回廊を抜け、筆記用具の林を下った。
山羊が「、l;:」と鳴く。
茶店に到着したのだ。
博士は本を閉じ、よっこいしょと山羊を降りる。

転んだ。

痛ぇ。
様々な辞典と理学書で武装した(時代はこれを「装飾」と呼ぶ)その喫茶店は、博士の主観的行きつけの店であった。
カランコロン、と木戸をくぐり、一番奥の席に陣取る。
大柄な店主は、博士の入店を認めると、調理にかかった。
常連であるため、何を食べたいのかは見りゃわかるのである。

いや、本当はわからない。

しかし博士は注文をしない上に、何か出さないうちは頑なに帰らないので、何かしら作らねばならない。

以前文句を言ったら

「『常連であるため、何を食べたいのかは見りゃわかるのである。いや、本当はわからない。しかし博士は注文をしない上に、何か出さないうちは頑なに帰らないので、何かしら作らねばならない。』と羅列してください」と言われた。

だからそうする。

席についた博士は、テーブル上の液晶性の金魚で暇をつぶしていた。

本は読まない。

 

「研究は順調かい」
テーブルにランチを並べながら、店主が尋ねる。

これは指示外。
「あと少しで完成なのだけれど、最後の最後でいきずまっておるのです」
博士は、金魚をもてあそびながら、並べられる料理を見つめた。

エゲツねえぐらいにニコニコである。

たまごのサラダ、鮭のシチュー、コッペパン(コップパンかもしれない。知らない)
チョコクロワッサンとコーヒーは、食後でいいかい」
「うむ」
博士はコッペパンを齧る。
乾燥したカント哲学の味がした。

(=「おいしい」と思う私は、パンの存在あってこそなのかもしれない。いや、わからない)
博士はシチューを啜る。
暖かなインド哲学が無を感じさせた。

(=シチューと私は本質的に同一なのではないか。つまりこれは共食いか。おぇ(=吐いた))
博士はサラダを頬張る。
プルンとした言語哲学の卵が、口の中ではじけた。

(=ごめん。これはマジでよくわからん。阿闍梨餅っておいしいのか?)
もぐもぐもぐもぐ。
古今東西の思想が入り混じるランチは、博士をして深い沈黙にいざなう。

こんなん黙るしかないぢゃん。


あとはカラスだけのはずなのだ。
「カラス的宇宙」の基本的構造と、それに関する若干のメモを想起する。
カラス的な闇の生成(=鈍色の闇)は、理論的には可能だ。
しかし、何かが足りない。
蛸?いやあれは水気が多すぎる。

ぬめりはいらない。
何か、もっと纏うような、理想的素材。
頬張る哲学群が、わけのわからぬ言説に堕したところ(あるいは昇華)で、ランチは尽きた。

 

これは、大学に持ち込むべき案件ではあるまいか。
そんな逃げの思想が発生する。

凡人は考えることが苦だ。凡人でなくとも苦だ。人間に、生き物に、考えることは向いていない。
わーお羨ましき知識の殿堂!アッタマイイ!
博士の青春と挫折の象徴である。
研究室での最後のやり取りは今でも明瞭に思い出せる。
「君は馬鹿だ。狂っている。ワケのワカラン事をよくもまあそんなにツラツラと喚けるものだ。君の思想は科学に対する冒涜だ。見ていて虫唾が走る。出ていき給え!」
「くぁwせdrftgyふじこlぱzsxdcfvgbhんjmk、l!」
あの時覚えた怒りは今も忘れない。
私は徹底的に間違っていて。他はみな完全に正しい?

私がだけが糾弾される理由は何か知らん?
ふざけるな。
確かに私は間違っている(かもしれない)。でもでも、間違いとその不断の修正が科学の本質であると心得ている(本で読んだ)。
しかしあの態度は何だ。
己に反省的でないものの、なんと醜いことか!
博士には座右の銘があった。
「しかし、真理は永く生き、遠くまで届く。されば我々は真理を語ろう」

(その日は泣きながら帰ったんだって)

 

博士はチョコクロワッサンを齧った。
とろりとした神秘主義の甘い味わい(つまりは、単純に、純粋に、甘い)は、博士に冷静な思考を取り戻させた。

おいしいね。
竹林を解したコーヒーをガムシロップで中和さしたものは、いつだって博士を無条件に包み込む。
再び思考。
視覚的・感覚的な様相すなわち時間の概念は、カラス的宇宙にて十分に解決されうる。
問題は空間的概念だ。
昼夜を繰り返す、現在の醜く不安定な状態をK(カスのK)とおく。
この空間を満たすもの、それは原子という概念である。
Kという宇宙はこの原子の概念でもってその空間を規定する。
私の学説は、この状態こそ不安定の原因とするものである。
では、より安定な「夜」の固定化にはどのような空間的諸相が必要か。
問題はここだ。
博士の理想では、これには無限の、そして心地良くまとわりつく概念が必須であった。
適度なほんわりと、恍惚とした虚無。

万物を受け入れる、絶対的平等!
これはいかような概念によってもたらされうるか。
博士はその宇宙の形態をノートに書きこんでみたが、答えは永として知れなかった。

 

熱帯的(あるいは亜熱帯。地学徒に聞け)時計が4時を指し、鳩のデデポー。
すっかりしぼんでしまった店主に「オアイソ」と叫び、博士は喫茶店を出る。
夕方。
それは不安定の権化である。
淡いオレンジはその様相を常に変えていき、とどまることを知らない。
博士は夕日を見ると、どうしようもなく不安になるのである。
刻々と変化していく淡い光は、無常というか、今立っている安住の土台を残酷に崩していくように思われ、ひどいときは泣きそうになる。
しかし日々のその繰り返しが、不安定ながら不変の、漠然とした日常の象徴であった。
博士は夕日を睨んだ。
若干、涙がにじんだ。
「しねかす」
そんな言葉が、無意識にこぼれた。

 

山羊は腹が減っているらしく、その足取りは重かった。
もちろんその間も博士は考え続ける。
さかなは依然として地を這い、猫は眠ったままだ。
帰路の途中にある大通りが、クジラによる玉突き事故で通行止めになっていたので、帰路はますます長くなる。

(血濡れたクジラって見たことあります?汚いですよね)
日が落ち、通りのガス灯が灯り始めた。
カボチャを被った若者たちが、歌を歌いながら階段を駆けて行った。
蛸が体を光らせながら路地を渡りゆく。
街角では、健康的なアランの幸福哲学が席巻していた。

(健全!向上!すき焼き!)
「もう寝なさい」と母が言う。
イカの群れが跳ねた。

ざ、ぶーん。

ぱらぱらぱら。
繁華街では、パブの店主たちが絢爛に水を与えている。
この絢爛は、成長が早く、ちょっとの水ですぐに発芽し、カラフルな蛍光色をあたりにまき散らすのだ。
人は言う。「夜は綺麗。夜は楽しい。友達と、恋人と、家族と、あなたはどんな夜を過ごしますか。集まって輪になって、みんなで笑ってオドリマショウ!」
しかし博士は思う。

「それは夜ではない」

「クタバレ」

「なぜ認めない?」

 

博士が自宅(博士は「寝床」という)にたどり着いたころには、辺りはすっかり夜であった。
空を見上げる。
夜の闇は、絢爛が作り出す靄に隠されていた。
星は見えない。

見えるけど。

見えないことにした。
博士は、陰鬱な足取りで階段を上り、ドアノブに手をかける。
二三の方程式が、頭の中でのたうち回っていた。
がたがたがたがたがた。
ドアノブがまるで意志でもあるかのように振動している。
ぐるぐるぐるぐるぐる。
室内から、謎の轟音が聞こえる。

(ぐるぐるっていう擬音、実際どんなんなのかね)
「?」
博士は怪訝に思い、ドアを開いた。
どばああああああああああああ!
何かがものすごい勢いで流れ出した。
液体?
固体?
なんだこれは?
博士は押し流そうとする濁流に逆らって、何とか室内に入ろうとする。
ペタペタペタペタペタペタペタペタ!
博士の研究室は、ものすごい濁流の、まさに中心であった。
壁の本棚から無数の理学書が転がり落ち、宙を舞う。
達磨と鶏が阿鼻叫喚の悲鳴を上げ、無数の瓶が濁流にもまれている。
「ああ!なんということだ!」

(笑い)
これまでの実験記録、そして精密に設計された瓶の装置は、跡形もなく砕かれ、その残骸は溶けて濁流の構成物となる。なっていた。
博士は研究室の机にしがみつきながら、濁流の中で浮いたり沈んだりしていた。
ペタペタ!
ごうんごうん!
どばどば!
博士は見た。
濁流の主要物を。
室内で暴れまわるこの化物を。
それは無数の山椒魚であった。
濁流の正体は、液体でもなく固体でもなく、無数の個体であった。
わたわたわたわたわたわた!
荒れ狂う山椒魚の濁流は、部屋の中心の、サボテンの瓶を中心に、とめどなく生成されている。
博士は徒労感で呆然としながら、山椒魚の濁流による破壊を観察していた。
無数の山椒魚が、体に体当たりして、流れていく。
その刹那。
パアン!
博士の脳内で、クラッカーが炸裂した。
「この手触りだ!」
どばどばどばどばどば!
荒れ狂う山椒魚の質感は、博士の理想とする概念のそれに限りなく近いものだった。
「この概念を、全宇宙に敷衍せねば!」

敷衍ッ!みんな私の思うまま!

「わふーーーーお!」
博士は叫び、めちゃくちゃに濁流をかき分けながら、部屋の窓を開けた。
わああああああああああああああああああ!
山椒魚が滂沱(ぼーだ!)の嵐となって、夜の街にあふれだす。
博士は見た。
夜の外気に触れた山椒魚の一部が、もふもふの概念に変容していく様を。

見ただけ!意味ワカラン!スバラシイ!
程よくまとわりつく、ふわふわの濁流。
白衣が窓枠に引っ掛かり、だばだばと飛び出す山椒魚の波にもまれながら、博士はこの変化を「海」と名付けた。

わふーお!わふーお!わふーお!
とめどなくあふれる山椒魚の海は、一つの意志を持った生き物のように、夜の街を押しつぶした。
暴れ狂うもふもふの概念は、絢爛を喰らい、ガス灯をなぎ倒した。
巨大な蛸が、無数の小さな蛸に分裂して泳ぎ回る。
人工山羊はバラバラに砕け散った。

若人を喰らえッ!ムサボレッ!
哲学書山椒魚とぐちゃぐちゃに混ざり合い、意味不明な悟りを開く。
山椒魚に触れた人々は、次々と新たな山椒魚に変化した。

(厳密には、皮膚が裂けて中から出てきた。と釈迦は仰る)
山椒魚はあらゆる概念を飲み込み、頬張り、分解する。
サボテンを捨てたカラスが、大群を作り海に飛び込む。

すぱぱぱぱぱっぱぱぱぱぱあぱぱぱぱあぱぱぱぱぱぱぱぱぱ。
海は爆発的にその水位を増大させ、くすんだ夜空を黒く塗りつぶした。
透き通る山椒魚の海(透いた鈍色!綺麗!)を、星のように光るさかなの群れが舞う。
崩れた瓶や、美術館の残骸の上を、猫が楽しそうに転がった。
もはやなんだかわからなくなった流体に押しつぶされる刹那、博士はつぶやいた。
「夜だ」

 

全宇宙が山椒魚とカラスのミクスチャアに満たされたとき、すべての概念がきれいに消し飛んだ。

(シャボン玉が割れるときってこんなんでしたっけね(新見))
後には何も残らなかったという。
こうして、また宇宙が生まれた。

いや、生まれんよ。

 

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おしまい。

 

ここまで。

 


[自己評]
脳死で、とにかく支離滅裂にしようとしてみました。
伏線とか、そんなものは全然ありません。
駄文にお付き合いいただきありがとうごぜます。

わふーお。