原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

「『自由に生きるのは勝手だが、それは自己責任だ』みたいな話があるじゃない」

「あれって結局なあなあで生きていても、なんだかんだ責任ってついて回るよね」

「責任に自覚的なのが自由で、そうでないのが不自由なのかしら」

「責任に縛られたものを自由とは呼びたくはないな。代償や罰ならまだしも」

「自由に責任は関係ないのかもしれない」

「他人の責任どころか、自分の責任すら他人に押し付けて生きたいぜ」

「そうしたいのならばそうする。道徳だの倫理だののくだらない枷に縛られないで、欲望に正直に生きることこそが自由なのではないか」

「満たされない苦しみがありそうだけれど」

「なんだ、そのくらいで目先の快楽を捨てるのか。人間の欲望てのも、案外底が知れたものだな」