原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

2021-03-01から1ヶ月間の記事一覧

ある凡庸な書簡(所感)

これは先程の議論に対するぼくの考えだ。 もっとも、きみがきみの価値観・前提に従ってものごとを判断する限り、おそらくは未熟者の屁理屈としか映らないと思う。だから、見るに堪えないのなら、悲しいことだが、以降無視していただいて構わない。 ただ、い…

ヘルドとハインの実験(仮)

memo さて、私は確かに完璧な方法で精神を確立する方法を見出した。 私の認識、すなわち自我、私という感覚、それは単に私の脳髄、この頭の中における一切であり、だからこそ、私は極限までの精神体となって、めくるめく幻惑の世界を、まさに精神として現実…