原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

私にとっての社会

ある人が嘆く。 「私は人生経験が貧しい」 「人生経験が豊富な人が羨ましい。不公平じゃないか」 ある人の知り合いは、ある人に交際経験があることを知って、嘆く。 「なんだなんだ。私は人を好きになったことすらないのに、貴方はそれでいて経験が貧しいな…

壇上に立ち夥しい数の人間を前にして、それでもなおたじろぐことなく、一切の迷いもなく、堂々胸を張って、「そうである」と断言できるもの。 それだけが、真に血肉となった知識である。

現代社会は徹底的な人間の苦悩の上に成り立っている。 「考え方を変えろ」は人格否定に他ならない。 自己を否定し、自己を欺き、徹底的に苦悩しなければ社会では生きてゆけない。 このような社会は屑であり、本来的に貢献する義務も義理も価値もない。 集団…

私的童貞観。

童貞というのは一つの精神的枷である。 この枷に囚われた人間は、自身の劣等と醜く膨れた膿的な腫れ物に対するような自己嫌悪、現状憎悪、羨望、自己欺瞞(※)に囚われ、溌剌な精神的自由から最も離れた不潔な見世物小屋に放り込まれている。 これは一種の幻…

自室にて。

「今宵も精神のコペルニクス的転回がやってきました。そこまでです」 「あーあ。また最奥には至ることができなかった」 ポワーン。

友人から借りた漫画を読み、もはや創作中の人物の充実や笑顔にすら劣等感を覚える自分に気がついた。 もうだめかもしれない。

雑記

一つの、主観的な真理として、徹頭徹尾、この世界は地獄である。 人間が軽蔑という概念を、嫌悪という概念を、嘲笑という概念を、他者の評価という概念を持つ限り、すなわち、我々が「他者を見る」という行為から逃れられない限り、これは真理である。 一切…

教説:世界は私の表象である。

あの荒唐無稽な試行から何年になるのか。 学生時代、未だ精神的幼稚であることに気を病み、私は独り放浪の旅に出た。行あたりばったりの、あてどない旅路において、私は見るものすべてを自分本位に解釈し、恣意的な理解体系に組み込んだ。それしかできなかっ…

雑記。

目的や特徴といった概念、そもそも概念自体からして人間に固有のものであり、その視点や思考体系を他の生命にまで敷衍して一般化することは無意味なのではないかと思ったが、そもそも人間が認識する全ては徹頭徹尾人間が恣意的に扱うものであり、万物は人間…

社会における道徳や健全の過度な徹底は、逆説的に人間本来の野蛮を強調する。