原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

2020-10-01から1ヶ月間の記事一覧

memo日記。

「例えばさ、ある男子学生の前で、一人の女子学生の実験予習ノートが褒められたりするわけだ。TAさんなんかが集まって、へぇ、すごいとか囃すんだね。 「じっさい、その出来は立派なんだ。横目に見ただけでもよく考えて作りこまれていて、それなりの時間と労…

老人とぬいぐるみ

その痩せた老人は一人であったが、独りではなかった。 彼は旅好きで、昨日は東で明日は西といった具合に、あてどなく国々を巡ったものだ。 そんな老人は、常に一人であったが、独りではなかったのである。 彼の旅は、いつもぬいぐるみとともにあった。 故郷…

memomemo

「友達と飲み歩いたり、女を抱いたり、笑ったりするのは構わないよ。でもそれは「それなり」な人間の特権だと思うんだ。絶え間ない努力によってずば抜けて勉強のできる奴がいたとしたら、そいつこそがそういう幸福や歓楽を堂々と享受すべきで、そうでない下…