「今宵も精神のコペルニクス的転回がやってきました。そこまでです」 「あーあ。また最奥には至ることができなかった」 ポワーン。
友人から借りた漫画を読み、もはや創作中の人物の充実や笑顔にすら劣等感を覚える自分に気がついた。 もうだめかもしれない。
一つの、主観的な真理として、徹頭徹尾、この世界は地獄である。 人間が軽蔑という概念を、嫌悪という概念を、嘲笑という概念を、他者の評価という概念を持つ限り、すなわち、我々が「他者を見る」という行為から逃れられない限り、これは真理である。 一切…
あの荒唐無稽な試行から何年になるのか。 学生時代、未だ精神的幼稚であることに気を病み、私は独り放浪の旅に出た。行あたりばったりの、あてどない旅路において、私は見るものすべてを自分本位に解釈し、恣意的な理解体系に組み込んだ。それしかできなかっ…
目的や特徴といった概念、そもそも概念自体からして人間に固有のものであり、その視点や思考体系を他の生命にまで敷衍して一般化することは無意味なのではないかと思ったが、そもそも人間が認識する全ては徹頭徹尾人間が恣意的に扱うものであり、万物は人間…
社会における道徳や健全の過度な徹底は、逆説的に人間本来の野蛮を強調する。
そこらの大学生よりもよほど規則正しい生活を営んでいるカラスは、朝が早いものである。故に私は「カラスが鳴いたら朝」としているのであるが、そうこうしているうちに今日もカラスが鳴いた。徹夜である。コーヒーを入れて誤魔化しているので(科学的根拠は…
ありふれた話 ある田舎町に幼い兄弟が暮らしていた。弟は活発な気質であり、よく近くの森に遊びに出ては親兄弟をハラハラさせていた。兄は物静かな気質で、弟とは対照的にずっと本ばかり読んでいた。晴れた休日などは、木陰で読書する兄と近くの茂みで遊ぶ弟…
以下に並べるのは2019後期からの筆者の精神状態の記述である。 私はこの罵詈雑言を、孤独な総理生の精神の一例として提出する。 大多数の方々にとってこれは幼稚の極みであろう。 新入生の御方々が同様の精神状態に追い込まれることを切に願う。 ——総論(202…
不幸の分析において、人は他者から解放される。 不幸自体は徹頭徹尾当人に属し、いかなる比較も不当である。
古い物件 土淵川沿いをにこにこ(※)しながらゆくと、弘高下駅の左手に古びた物件が見えてくる。その物件は蔦に覆われており、往来に面した入り口に「whiskey」とあることから酒場の類であることが見て取れる。日中は死んだように静かであるが、日が落ちると…
ただ「サイコパス」だの「狂気」だのとして片付けるにはあまりに惜しいものがある。 時としてそれらは安息や充足を伴いながら衆愚に貶される。
メモ ショーペンハウアー的「意志」による人間関係。 「強い自我」の存在は、他人の否定と直結する。 意志の客観化は、無理に数量化するならば有限である(?)。 (この点は、荀子の思想に関連するのかもしれない。すなわち、この世に存在する「幸福」は有…
成功者のアドバイスほど不快なものはない。 成功者は皆口を閉さなければならない。
田舎は物理的に不便であり、都市は精神的に不便である。 田舎の最大の欠点はモノがないことであり、都市の最大の欠点は人がいることである。 田舎の欠点は無知により守られるが、都市の欠点は何者によっても取り返しがつかない。
私の話を聞いてくれない人の話をなぜ聞かなければならない? これまでずっと聞いてきた。そろそろ私の話を聞いてくれたっていいじゃないか。 こう思った時、すでに私の周りに人はなかった。
運動は常に否定を伴う。 故に醜く、不快である。
フカフカの椅子に腰掛け、目前の狂気を鑑賞する。 これほどの快楽があろうか。
きょうは9じはんにおきました。 はやおきです。 とうけいのてすとにぎりぎりまにあって、とりあえずぜんぶうめました。 じしんがあったところがあとからまちがっているとわかったのはつらかた。 とうけいのしゅくだいをひとつだしわすれていたのでせんせいに…
夢や希望といった白々しい仮面を剥がせ。 それは欲望と何が違うのか。 全てが醜い欲望、エゴイズムに還元される。 夢や希望という見せかけの安看板にしがみつく馬鹿者は、腐った道徳の奴隷である。 もっとも、腐敗なき道徳など存在しないが。
無償の奉仕、ボランティア精神などという、社会に汚染された狂気の発想。 自己利益を無視した、生命への最大級の冒涜。
誰もが自分こそ一番に不幸だと思っている。 ならば私も遠慮なく主張させていただく。 私こそが一番に不幸である。 みんなやっているのだからいいじゃないか。
誰かにとってのユートピアは、誰かにとってのディストピアである。 ユートピアの普遍性よりは、ディストピアの普遍性の方があり得るように思える。
万人が等しく不幸であるという、あの最も幸福な世界。
道徳に従い、かつその憎むべき害悪を被った者のみが、道徳を糾弾する資格を持つ。
勝利への欲望は、概して醜い。
この世からあらゆる仮面を剥いだ時、一体何が残るのか。 醜いエゴイズムの暴虐と、抑えがたい欲望、衝動、絶叫、怠惰。 健全の名の下に抑圧された全ての、心からの発露。 すなわち生の礼賛ではないか。
成したことに対する感想は、ただ成した本人のみに発言権が与えられる。 醜い汚物、すなわち世間体や、他人への配慮等は、これに対し一切の影響を許してはならない。
考えることは苦痛である。 人は深く考えるより、直感的に納得のゆく言説に飛びつくだろう。 溌剌な、健全な、前向きな言葉が持て囃されるのはこのためである。 反吐が出る。
日本人が(別に日本に限ることでもあるまいが)美徳としていたものの、海外の傾向との比較による否定を見るにつけ、私は海外の人間には美徳が、精神的安寧の源泉(そこでは一切の疑いから解放される場所)がないのかしらと思う。(良し悪しの話ではない) い…