原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

小旅行

 

そこらの大学生よりもよほど規則正しい生活を営んでいるカラスは、朝が早いものである。
故に私は「カラスが鳴いたら朝」としているのであるが、そうこうしているうちに今日もカラスが鳴いた。徹夜である。
コーヒーを入れて誤魔化しているので(科学的根拠は知らん。プラシーボ効果かもしれないが、「プラシーボ」さえ何なのかわかっているとは限らない)眠くはない。

気怠いが。

昼過ぎ(というか夜)を主な行動時間としている人間にとって、朝日というのは一種特別な、少なくともいつもよりは少しばかり充実した日を思はせるものである。
賞味期限が一か月強(断じて二か月弱ではない)過ぎたパック米に納豆を和えながら、私は「江別」に行こう、と思ったのであった。

 

きっかけは単純である。
先日万年床でうだうだやりながら惰性でSNSを漁ってると、「江別蔦屋書店」の画像が上がっておった。それはまるで二次元の世界でよく表現されるような、はたまた欧州の歴史ある大学の書庫のような、一種異常な建築の、書店というよりは「本棚回廊」とでも評すべき景色であった。
堕落の温床たる札幌からほとんど出ない出不精の私である。どうせ行けやしまいと思いながら、Googleマップを覗くと、近い。電車で20分!500円!安い!(高い安いの感覚は雑多であるが、以前無根拠に「洞爺湖に行こう」と思って調べた旅賃よりははるかにはるかに安い。少なくとも私にとっては「安い!」と評すに値する価格である)
こういうワケで、私はオキニのシャツに袖を通したのであった。

 

札幌駅のホームってなんか良いですよね。くすんだ暗色の中にてらてらとした列車群が滑り込むのは「ほわわ」とした気分になれて快い。
こうした部分的な「良き」が札幌にはところどころに散らばっているのでありますが、それに比してあまりにつまらなく味気ない醜物が多すぎる。これらが良いものをぶち壊して我が物顔でのさばっておりますので、全体として途方もない嫌悪感と違和感に終始しているように思われます。


列車に乗り込み、窓辺に「わるもの」を置くと、今度は窓がくすんでしまっている。苦笑しながら写真を撮って、SNSに上げる。わあすごい!若人みたい!
「江別」は終点みたいなものらしく、なら道中寝てしまおうかとも思ったが、眠くないので小説でも読もうかと、持ってきた「ドグラ・マグラ」を開いた。
車両が異常な軋みを始めた時に読み始めて、主人公が九州大学の怪しげな一室に通されたあたりで「江別」に到着し、「どれどれ」と駅舎を出た。
「うっわァ。クソ田舎!」
感想はこれに尽きまる。田舎者だからわかるのである。これは救いようのない田舎。

なーんにもない殺風景なさびれた町をひたすら爆風による砂嵐が削っている。

精神的地獄絵図。


それにしても北海道はまっすぐな道が好きですね。「江別も例外でないようで、ずーっと先まで見通せる。つまらない。
これ以上道中について言及しても不平しか出ませんので、すっ飛ばしましょう。


江別蔦屋書店に到着。わーい。
いやあ感無量である。倉庫群みたいな建物の中に骨と板を通してそこに本を詰め込んだような、そして本棚(本梁?)の陰に園芸店やカフェが隠れている感じ。
1時間ばかりはしゃいでおった。本ではなく雰囲気で遊んでおった。雰囲気も環境もとても良い。売ってる本をソファに座ってのんびり読めるのですよ?こんなんで採算が取れるんですか?席(書店に「席」?)にしても日当たりの良い席から奥まった落ち着きある席まで様々である。
異変はその後だろうか、最初からうすうす感じていたのかもしれないが。
品揃えがそれほど良くないのだ。欲しい本がない。パッと見の蔵書数は多いがよく見ると取りづらい場所にある本(っぽいもの)はすべて箱みたいな薄っぺらい英書であり、同じような集まりがランダムで並んでいるあたり明らかに商品ではない。また、哲学書などはかなり上の方まで詰められていたが、あれ、どうやって取るんだろ。
大衆向けの本(啓発書や自称知識人の意見書、精神世界など)はすごい数があったが、専門書、学術書等は、代表的(?)なものをとりあえず並べているという感じで、覇気がない。
おやおやという感じである。私のような日陰者が喜ぶラインナップではあまりない。
しかし何といっても雰囲気は良いので、カフェでフラペチーノ(クリームにキャラメルシロップがかかっているやつ)を求め、持ってきた本を片手にソファでくつろがしていただいた。あまりに心地良いので、寝た。ぐっすり。
起きたら昼である。腹が減ったのでご当地の飯でも食おうと、ラーメン屋やカレー店等を調べると、「江別産」の粉だかなんだかを使ったラーメン屋があったので行く(こういう時、「ご当地)と言ってもラーメン、カレーなどの、既存のジャンルありきになってしまっている気がする。「ご当地」ってなんだっけ)。不味くはなかった。虜にもならなかったが。


ぼちぼち爆風に吹かれながら帰路につくと、やはり何もない。こういう田舎って、見ていて複雑な心境になりますよね。なまじ田舎出身であるために、その居心地の悪さはひとしおです。不快です(強風は、こんな不満たらたらな私に対する江別の返答である気がしてきた)。


駅舎が近づいたころに立派な神社を見かけ、参ろうかと思ったが、列車の時間がなかったので止めた。計画性のない旅なんてこんなもんである。
ちゃんちゃん(ドットハレ)。