原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

雑記

一つの、主観的な真理として、徹頭徹尾、この世界は地獄である。

人間が軽蔑という概念を、嫌悪という概念を、嘲笑という概念を、他者の評価という概念を持つ限り、すなわち、我々が「他者を見る」という行為から逃れられない限り、これは真理である。

一切の苦悩や不幸は、他者の認識を、いや、もっと言えば、人間が、人間として世界を認識することから生じる。その点で、白痴や盲人、一切の人間的教育を受けない野人、つまるところの、動物としての人間は、健常者よりはるかに幸福であろう。少なくとも今、我々が持ちうるありとあらゆる苦悩が存在しないという点において。

いや、それも違うかもしれない。そもそも、我々が人間であるという点で。

我々が、犬の嗅覚や、蝙蝠の聴覚、蛙の跳躍や、鳥の飛翔と、ほぼ同列に語るべき、扱うべき動物的特徴として、思考力、知力を持つ人間である点において、もはや我々は地獄の中にあり、決して出ることはできないのだ。