原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

雑文「ありふれた話」

ありふれた話

 

ある田舎町に幼い兄弟が暮らしていた。
弟は活発な気質であり、よく近くの森に遊びに出ては親兄弟をハラハラさせていた。
兄は物静かな気質で、弟とは対照的にずっと本ばかり読んでいた。
晴れた休日などは、木陰で読書する兄と近くの茂みで遊ぶ弟という平和的な図が町民の眼を楽しませたものである。
本好きの兄は日記をつけていて、自分の読書録と、弟から聞いた野山の情景を綴った物の二冊がそれであった。
それはほんの遊び心であったのだろう。
兄は自分の読書録は国の言葉で、弟の見聞録は兄弟間で取り決めた一種の象形文字で綴っていた。夕食後の寝室で兄弟二人して読み返し、笑いあっていたそうだ。
それなりの年月が流れた。
いつしか兄は重い病に囚われ、弟は兄の為にかさむ家計の助けにと、働きに出るようになった。
兄の病床でその日の出来事を語って聞かせるのが弟の、そして兄の唯一の楽しみであった。
その年の冬、兄は死んだ。
春になり、弟は兄に次いで病に伏した親の代わりに都市へ出稼ぎに出ることとなった。
簡素な鞄の容積のほとんどは兄弟の見聞録によって埋められた。
都市はのちに産業革命と称される激動の煽りを喰らい、急速な成長を強いられていた。
そうした中で、出稼ぎに出た少年がとび職の地位に納まるのは至極当然であり、高所での作業中に転落して泥の中の屍となるのも当然と言えば当然であった。
麻袋に詰められ捨てられた弟の遺品は乞食に拾われ、古びた日記は路上に並ぶ物品の山に放りこまれた。
様々な人種と階級が入り乱れる往来において、孤独を持て余した学生が支離滅裂な記号の並ぶ日記を拾ったのは、よく言えば奇跡であり、実際はただの偶然であったことだろう。
学生はその適度に厚い暗号書を持ち歩き、にぎやかなカフェの窓辺で意味ありげに開いては、そんな自分の姿に悦に入り、またありふれた自己嫌悪を呼び覚ましたりしていた。
積まれた蔵書だけは立派なその学生がつまらない意地により憤死したのち、その莫大な蔵書はわずかながら親交のあった数学徒に渡り、件の日記もその中に紛れ込んだ。
生涯その日記の存在に気付くことのなかったその学徒は、やがて名の知れた学者となり、意味ありげな、しかし大多数の凡人には咀嚼すらおぼつかない発見を数多くし、周期的に時の人となった。
年老いたのち、病床にて弟子による蔵書の整理を眺めていた彼は、若干虫に食われた古書を突き付けられて、「それだ」とつぶやきこと切れた。
彼の認知症を知っていた親族は一笑に付したが、このエピソードは弟子たちの間で神格化され、その日誌の所有をめぐって刃傷沙汰までもが巻き起こった。
学者の名前すら知らない凡人たちまでもが、都市伝説と化した日誌の存在について囁き合い、競売にてその存在が白日の下にさらされた日には夕刊の一面をにぎわせた。
戦争、繁栄、不況、戦争。
激動に次ぐ激動が衆愚の頭を濁流で洗浄し、日誌の存在はまたも埃の中に葬られた。
東国で科学的な旧道徳が炸裂した日、その日誌は欧州の財閥の書庫に眠っていた。
新道徳がナアナアな平和をもたらした時、財閥創始者の名を冠した蔵書群は書庫ごと伝説となり、またも人々の口に上るようになった。
時代が変化するにつれて徐々に散り散りとなった蔵書群はその伝説性をさらに高め、財閥名が捺された書物は蒐集家の間で破格の扱いを受けるに至った。
そのうちの最も希少性があるとされた一冊、すなわちかつての兄弟の思い出を、名のある人物が客人に披露した。
章末の一節を指でなぞりながら、
「ここを私は『かつて形而上的な「神」によるとされた至高の喜び、その敷衍は、全人類にとっての責務である』と訳すんだが、どうだろう」
と得意げに語る。
「ほう、そう来ましたか」
客人は、特に代案があるわけでもないので、適当に返した。

 


2月3日
天気 雪
今日、ヨセフはいつも以上に疲れた顔をして帰ってきた。
仕事のことで学校に居づらいんだって。
最近ヨセフは笑うことが少なくなったように感じる。
ああ神様。どうかこの病気を治してください。
ぼくに、ヨセフを、弟を、守らしてください。
他のどんな試練も甘んじて受けます。
願わくば、もう一度、僕の大切な弟に笑顔を。