原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

教説:世界は私の表象である。

あの荒唐無稽な試行から何年になるのか。

 

学生時代、未だ精神的幼稚であることに気を病み、私は独り放浪の旅に出た。
行あたりばったりの、あてどない旅路において、私は見るものすべてを自分本位に解釈し、恣意的な理解体系に組み込んだ。
それしかできなかった。私の脳みそは、物事を「私が納得できるか否か」において分類し、納得できぬものには軽蔑、あるいは徹底的な無関心を、納得できるものも「私」の内にある稚拙な理論体系の一部品とすることしかできなかった。
故に、どれほど新しく、新鮮で、斬新で、転回的な視点を持つ事象も、すべて私の形式に無理やりはめ込んだ、いびつなものとしてしか解せない。そのことが、己の不寛容な精神的未熟を体現しているように感じられ、かといって、その思考形態の破棄は恐ろしい破滅をもたらすように思われ、漠然とした所感は明確にされないまま増大し、荒れ狂い、ある時私は月下の砂漠で独り咆哮した。
自分探しの旅、と俗な連中は嘯くが、結局発見されたのは自己弁護すらかなわぬほどに醜い自分であり、その逃れようのない現実だけであった。この世界に希望などないかに思われた。
もはや、故国に戻り僧にでもなるしかあるまいと、鬱的な苦しみの中でぼんやりと考え始めたある日、私は古城の門前に至った。
地理的には西欧と呼ばれる国の、国境近くの森林、そこを細々と貫く林道上での出来事であった。
蔦に覆われた城壁に、固く閉ざされた門、門の隙間には土が詰まり、もはや自然物と化している。当然ながら、開かない。
バックパックから地図を出し、吟味するが、道を外れたわけではないらしい。しかし現に目の前には壁があり、進みようがない。
そろそろ噛む爪もなくなり、溜息にも疲れ、また叫びたくなってきたとき、門から奇異な軋みが聞こえた。
風が吹いているわけでもない、イヤ、これほど古い建造物だ、軋みもするだろうと、地図に目を戻そうとしたとき、私は門がかすかに開いていることに気が付いた。詰まっていた土が取り去られ、前庭がちらりと見える。
ハテ、先ほどのは私の見間違いだったか、と、私は解釈した。もはや自分の所感をそのまま鵜呑みにできるほど、私の精神は健やかではなかった。
隙間に体をねじ込み、城内へ這入る。どうにか通り抜けられないものだろうか。
と、城内をハッキリ見すえた時、私は少なくともかつて居た現実から足を踏み外したかのような感覚に囚われた。
白いいきもの。

四肢を備え、直立した、子供位の大きさの、なんだかふわふわした、何か。
そんな存在が、左右に列を作り、城の母屋(というべきかは知らないが、主観的にそう思えるもの)へ私を誘うかのように手を差し伸べている。
あっけにとられていると、何者かが私の裾を引っ張った。見ると、足元にも「それ」がいて、私を見上げている。丸い頭部にさながら子供の落書きのように描かれた三つの線は、顔でいいのだろうか。表情がわからない。
と、その顔から、低いような、はたまた甲高いような、中途半端な声が聞こえた。
「オニモツ、オモチシマス。ドウゾ、コチラヘ」

 

母屋の中は古城とは思えぬほどに綺麗だった。美しいというよりは、単に、事実として、小綺麗、といった感じだが。
素人目にはどの文化圏にも属さないように見える、一見すると子供の落書きのような意匠がドーム状の高天井いっぱいに書き込まれている。舞台に据え付けられているような武骨なハライドランプがおびただしくぶら下がり、我々が進む通路を明るく照らしていた。
して、その通路なのだが、照らされている部分以外は一面の闇であり、足を踏み外そうものなら奈落に墜落、といった趣である。
通路以外にも、広いホールのいたるところに点々と照らされた部分があり、そこでは彼ら、「いきもの」が奇矯な舞を演じている。例によってこれも、一見すると子供がはしゃいでいるようであり、申し訳程度の統一感がかろうじてこれらが舞であることを支えているようであった。
列はドームを抜け、長い階段を上り(この階段も、闇の中に浮かんでいるような錯覚を起こすものだった)、白を基調とした部屋に至った。大柄な「いきもの」が燭台を掲げて並んでいる。長机の最奥に至り、待つように言われた。荷物はどこかへ運ばれていった。
それにしても現実感がない。この状況に、現実感を見出そうとするのもなかなかに無謀であるだろうが、しかしどうして、この状況を「異常」だの「危機」だのと定義して片付けてしまう気にもならなかった。全体的に漠然として、とらえどころがなく、私自身暗闇に浮遊しているような気分であった。ただハッキリ感じられるのは、「サテ、これからどうなるか」という一種異常に興奮した好奇心だけである。どうせ生き延びても世を捨てようという身だ。どうにでもなってしまえ。
と、半分開き直って、部屋を見渡すと、あちらこちらに稚拙な絵画が飾ってある。大柄な「いきもの」は、部屋ではなく、この絵画群を照らしているようだ。ほとんどの絵画は抽象的なもので、城のような武骨な建物が黒の中に白く浮かんでいたり、白黒のグラデーションにしか見えないものがあったと思えば、痩せた「いきもの」が両手を広げて白い光を求めんとするものもある。
安楽椅子に背中を預けてそれらの荒唐無稽な絵画を眺めていると、部屋の扉が開き、烏帽子をかぶった「いきもの」に先導されて、何やら料理らしきものを抱えた集団がやってくる。
それらが長机に皿を並べている間、座長らしき「いきもの」が歓迎の言葉を読み上げた。
「遠路はるばるようこそオイデくださいました。ここは「私達」の世界です。世界が産み落とされてから、外界からの客人は一度もございませんでした。デスノデ、貴方様の来訪は、主の大変喜ばれるトコロでありまして、くれぐれも、失礼の無いヨウ、きつく言いつけられております。歓迎のシルシに、こちらをお受け取りクダサレバ、主もお喜びになられるデショウ」
そう言って渡されたのは一冊の本であった。外国語で書かれており、何の本かと尋ねると、「聖典」であるという。
そうしているうちに食事の支度が済んだようで、腹が減っていたので、なんの躊躇もなく、喰った。
少なくとも食材に見知ったものは無く、味も見た目も経験のないものであったが、不味くはない。むしろ、うまい。うん、うまい。
4皿を一息に平らげ、食後酒を飲み、良い気分になって、渡された「聖典」をパラパラとめくっていると、辺りが急に暗くなった。
稚拙な模様が描かれたローブを纏った「いきもの」の一団が目の前におり、跪いて、厳かに告げた。
「主が、貴方様の謁見を望んでおられます」

 

虚ろな笑い声が響く祭壇の先に、その扉はあった。祭壇下にはおびただしい数の「いきもの」がおり、皆五体投地して一心に祈りをささげている。ローブを纏った「いきもの」が礼拝の音頭を取り、一種波のような動きが完成していた。
扉の前まで来ると、「いきもの」は私に松明をよこした。
「この先の回廊を下りました所に、主はおられます」
回廊の底は見えず、ひたすら続く螺旋の壁面は、すべて本棚になっていた。点々と配された蝋燭の明かりが照らすそれらは、様々な言語で著されたものであり、すべてが何度も読み返されたものらしくひどく崩れていた。果てしなく続く回廊を下るうちに酔いは醒め、半ば冷静になった心は自身に冷たい問を投げた。
「私は一体何をやっているんだ」
想えばみじめな人生であった。志ばかりが先走り、実力は常に私を地につなぎとめる。
一事が万事中途半端なくせに、妥協を知らず、ろくな努力をしないままにひたすら現状を嘆く。嘆くばかりでは何も変わらず、かといって動けば理想が暴走する。埋まらぬギャップが活力を奪い、残るは惰眠の謳歌のみ。苦悩を分かつ友もなし。
妥協を知らねば友もできない。ある時それを悟ったが、しかし妥協と自己欺瞞の上に成り立つ現状において、今それに抗わなければ、死ぬまでこのままであろう。それがとても怖かった。年老いた病床で、「こんなものか」と悟るには、私はあまりにも知りすぎていた。私にとって認識は、自分が不幸であることの証明でしかなかった。
世界は、現実は、私の理想からあまりにかけ離れていて、生きるにあたり、理想の破棄を迫る。若人の理想は嘲笑の対象であり、未熟な、見るに堪えない遊戯であり、現実を知った勝者は徒党を組んで弱者、すなわち夢想者を侮蔑する。夢想者は彼らにおもねって自らの夢を罵るか、独り自己嫌悪と冷たい視線に絶えざるを得ない。
私はそんな現実の「納得」を拒んだ。少なくとも学府に居れば、理想は守られると思った。学府は私にとって、純粋な理想と自由の象徴であった。
しかし、そうではなかった。徹底的に、笑ってしまうほどに徹底的に、そうではなかった。
魂は肉体に縛られている。そんな言説が、少なくとも心情的には、真理であるように思われた。
「ここでは、私は死ぬだけだ。己を殺すことしか、できることはない」
溜息は暗闇に飲み込まれる。あらゆる毒も、愚痴も、不平も、不満も、すべて闇に飲み込まれる。闇は、暗闇は、すべてを平等に飲み込む。そこでは一切が許される。「いきもの」たちの言っていた「主」は、それがわかっているのかもしれない。だから、滾々と湧き出る暗闇の底に、こうして安住しているのかもしれない。
だって、闇の中では、私は何も知らなくていい。
最下層に着いた。もはや辺りは何も見えず、松明は、ただ目の前の貧相な木戸を照らしていた。

 

ユリウスと名乗る白髪の老翁は、私を暖かく迎え入れた。赤々と燃える暖炉は照明としても機能しており、私が来た時、彼は揺椅子に腰かけ書き物をしていた。
「彼らに粗相はなかったかね」
コーヒーを淹れながら、老翁は穏やかに訊いた。
「いえ、大変よくしてもらいました。実に可愛らしい…臣下をお持ちで」
「はは、「臣下」か。それはそれで正しい。彼らは私の世界の住民なのだ」
翁はコーヒーを差し出す。筆だこに侵された細い指がとても美しい。
「貴方の世界、というのは何ですか。彼らも言っていました。「私達の世界」とか「外界」だとか。ここは一体何なんです」
老翁は椅子に深く腰掛け、感慨深げに壁にかかった絵画を見上げた。それは一見すると何かの設計図の様であった。白髭をしごきながら、満足げに微笑む。
「言葉通りさ。ここは私の世界。私が創造した、一個の宇宙なのだ」
言っている意味がよく分からない。あまりに抽象的すぎる。スケールが大きすぎるのだ。世界だとか、宇宙だとか。それでは如何様にも解釈できるではないか。解釈してしまえるではないか。
「簡単に言えば、この世界は私の表象なのだ。私が見て、感じたものだけが存在する。君にも分かるはずだ。目を瞑り、耳を塞ぎ、鼻を潰し、そして皮膚感覚すら失ったと想定してみたまえ。そこに世界はあるか?」
私は目を瞑る。あるのはただ一面の闇である。そこに私は居るのか?私はその闇の「中」に居るのか?それとも闇を「見て」いるのか?
「君はよくわかっていると思うのだがね。「世界を認識する」とは、「世界を解釈する」と同義なのだ。人間が見る世界は、人間が解釈する世界に他ならない。「この世界」は、まあ、言ってしまえばその手法を応用したに過ぎない。今のところ、これまでで一番うまくいっているようだが」
翁は眼を瞑る。静かに、淡々と、正確に、語り続ける。
「ここは安住の地だ。すべてを疑い、すべてを取り払い、否定しえないものだけが至ることのできる最奥だ。この世界を支えるのは私の意識であり、私の認識だ。繰り返そう。「世界は私の表象である」そして、君もまた―」
翁は眼を開ける。そこにはただ彼の見る空間があり。

 

翁は新しいノートを取り出す。扉に筆記体でFrauenstädtと書きつけながら、独り呟いた。
「アーサー。私は彼の素晴らしい教説に、世界創造のヒントを得たのだ」

 

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おしまい。

 

 

なんか最後安っぽいね。