原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

人種差別だー男女差別だーって。

よく叫んでられますね。

そんな大きい問題に飛びつかなくても、差別なんて万人が息をするように、いや、息以前の認識の段階から、平然とやっていることだろうに。

お前は醜い人を見てなんの感情も抱かないのか?

お前は不潔な人を見てなんの感情も抱かないのか?

お前はキモい人を見てなんの感情も抱かないのか?

他人に対して抱く、あらゆる感情、ほんの少しの優越感、軽蔑感、嫌悪感。

それらが差別でないなら何だ?

人種差別だ男女差別だ叫ぶ連中でさえ、道端で醜く不潔な男と相対すれば嫌悪を抱くだろう。

男女平等の女側の運動を見てみたまえ。

あれは純度の高い男性差別以外の何物でもないだろう。

それこそ差別だ。

 

日常における最も苛烈な差別に気付きもしないで「運動」に勤しむ塵芥共よりも、

むしろその差別に気付いて差別主義者の地位に甘んじる輩の方が、よっぽど誠実で正しい。

進んで地獄に身を投じようとする者の方がよっぽど清廉だ。