原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

嫌悪・違和感・醜さ

私は北大が、そして札幌が嫌いである。

もちろんそれはーというかあらゆる事物はー全て「お前のせい」に還元されるのだが、しかし「嫌い」という所感自体はその所在に関わらず、一個の存在として否定することはできぬものである。

ともかくとして。

私は札幌が、そして組織としての、場所としての北大が嫌いである。

それは、すべてにおいて漠然としていて、煮え切らず、中途半端で、ひたすらに不快だからである。

思えば、初めて札幌に来た時から、違和感を覚えていた。札幌の街を見、大学を見、そして受験時に至るまで、「なんか違うな」という違和感はずっとあった。

しかし私は、それに見て見ぬふりをした。

合格して、喜んだ。

しかし今思えばその喜びは、受験生活の終了に対しての喜びであった。

しかし、そのころはまだ、希望はあった。

新しい友達ができるだろう、もしかしたら恋なんかもするかもしれない。

そんな青臭い、しかしそれ自体としては微笑むべき期待を抱いていた。

 

札幌に来た。

友達はできなかった。

自分の吐き気がするほどに幼稚な気性と醜さをまざまざと自覚させられた。

自分のこれまでが、いかに「貧しい」ものかを知った。

周りは微笑み。

恋が芽生え、しあわせになる。

死ねばいいと思う。

 

行動はした。

しかしうまくいかなかった。

常に違和感があった。

入学して、いろいろ写真を撮った。

中央ローン、牧場、メーンストリート、理学部棟、農学部棟、本図書館云々。

そしてそれらに感嘆の文句を付して、Twitterに投稿した。

そうして自我を保っていた。

感嘆されるべき場所に私はいるのだと、そう言い聞かせながら、泥でできた崩れかけの仮面をあくせく塗り直していた。

しかし、本心でそう思ったことはついぞなかった。

「やってしまったのではないか」という、恐ろしい事実に気がつきながら、誤魔化していた。

当初北図書館に通わず、比較的立派な本図書館に通ったのも、そのためだ。

 

美しいのは空の青さであり、樹々の緑であり、氷雪の輝きだ。

北海道大学でも、ましてや札幌でも、北海道でもない。

この環境、のっぺりとした、ひたすらにつまらない、違和感の塊。

弘前や盛岡と比べた時の、この煮え切らない中途半端の塊。

私が弘前や盛岡に愛着を持つのは、そこに血族がいるからではないのか。

ホームシックの類なのではないか。

しかし札幌にも縁遠いが親戚はいる。

独りが辛いのではない。「自分だけ独り」のなのが許せないのだ。

そして、拠り所となりえない大学が、札幌が、北海道が憎いのだ。

 

 思うに真に北大を、札幌を愛している人間はいないのではないか。

北大の学生が執拗に「旧帝」と連呼するのは、それしかすがるものがないからではないか。

唯一立派な農学部棟を、皆が、そして大学側さえも多用するのは、それしかすがるものがないからではないか。

北大にアイデンティティを抱く人間が、愛着を抱く人間がいることを、今でも信じられない。

旧帝でなくとも、アイデンティティを確立できている他大学は、あれほどに輝いているではないか。

 

繰り返すがこれも責任転嫁でしかないのだろう。この違和感も、他人の幸せに対する嫌悪も、大学や、札幌に対する憎しみも、ただの責任転嫁なのだろう。

しかし、醜いお前を救うような人間はいない。醜いお前に優しくする人間はいない。

共有できるものもない、声は醜く、頭蓋も醜く、背格好も醜く、性格も、話も、思考も醜いお前を、大切にしてくれる他者はいない。絶対に、地球上のどこであれ、少なくとも、現実には、いない。

「不幸だ」と口にすれば「私の方が不幸だ」「お前だけが不幸なのではない(だからお前の感情は醜い我がままだ)」と否定され、道徳や健全がわが身を縛る。

この世で最も価値がないのは男である。それも醜い男である。

何をしても醜い。安住の地もなく、そして救いにすら嫌われる。

希望を捨てろ。期待するな。醜いのだから。

一度期待したなら、あとは裏切られるだけだ。

現実とはそういうものだ。醜人にとっては。

期待すべきものは、裏切りの無い心地の良い幸せは、美しい人間の、そう「人間」のものだ。

お前のものではない。

 

少なくとも、やり直す度胸も財力もない私がすることは、己の選択の過ちを、己の人生を削って償うことのみである。