原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

記録(1)―円筒。

 

見渡す限りが濁った黒で、それでも混じり気のない黒で構成される、心なしかぬめぬめとした海の、便宜上ど真ん中。

そこに一本の白い円筒が刺さっていた。
遠目に見る分には細長い円筒であるが、接近したならば星間ロケットほどの質量を感じられるであろう。
円筒が居住に適したものかどうかは、遠目に見ただけではわからない。しかし、人の出入りは想定されているようで、深緑の木本が繁茂する頭頂部にはかろうじて鉄柵が、円筒側面には簡素な窓が確認でき、半分以上沈んだ扉が黒々としたミナモから顔をのぞかせている。
時報告では円筒は安定していて、海が凪いでいようと荒れていようと、その位置や角度を微動だにしない。
原理的に底がないこの海において、それは非常に不思議なことである。

 

私がこの構造物の観察、もとい監視を命ぜられたのは、今からちょうど一週間前のことであった。基地―これは私が生まれ育った場所でもある―での記録任務が長い私にとって、外の世界での長期逗留―尤も、当初は一過的な監視か持続的な監視かは未確定であったが―は生まれて初めてのことであり、年甲斐もなく心躍ったものだ。
外界に点在する監視拠点の管理を主とする部隊に先導され、円筒の間接的な視認が可能な唯一の拠点に至ったのは、基地を出立して2日といったところであった。
2日ぶりの光は、移動用の高速艇を降りた私の眼を焼いた。立ち眩みをおこして海に転げ落ちるところをかろうじて救われた私は周囲の嘲笑を買った。外地部隊は男女を問わず体格的に優良な人間で構成されており、生まれてこの方基地を出たことのない貧弱な私の悪目立ち様は目も当てられない有様であった。
健全な精神は健全な肉体に宿る―これは神代の格言であるようだが、仮に健全な肉体が精神の拠り所であるならば、その精神は空虚なものであるのだろう。外地部隊の屈強な隊員達は生まれてすぐに選り分けられ、基地外の拠点での訓育が開始される。その点で彼らは非常に頼もしい存在なのだが、悲しいかな、彼らは読み書きを極端に不得手とするのだった。
生得的な気質を選別の基準にするというやり口は、事実上の指導者であるところの長老衆の指針であるようだ。曰く「全人員は組織の手足たるべきである」。要は、全員に満たされた教育を施す余裕がないのである。
それはこの果てなき黒い海のただなかでかろうじて食繋ぐ我々には仕方のないことであった。
ブリーフィング・ルームに入ると、さっそく新人への注意事項が伝達された。今回の移動では私のような「記録部隊員」の運搬のみならず、外地部隊の配置転換・補充も同時に行われたのである。細身の「記録部隊員」たちとは対照的に、頑強な新人外地部隊員たちは非常に自信に満ちた表情をしていた。
全員に対する、拠点での生活様式についての説明が終わると、記録部隊員は別室に移動し、先任部隊員による監視にあたっての注意が為された。
「対象の監視にあたっては、できるだけ対象のみを視認するようにし、『海』を長時間凝視することの無いように」という注意は、特筆するべきか。
「海」の凝視は一種の精神錯乱を招くらしい。これは特に「記録部隊員」に顕著であるようで、荒れた日の海などでは特に、凝視によって渦に吸い込まれていくような感覚に襲われるということだった。過去にはそのまま「海」に飲まれた人間もいるらしい。
不思議なのは、外地部隊の人員からはそのような報告がほとんど上がらないということである。彼らは逆に凝視によって一種のばかばかしさ、果ては「呆れ」のような感情を抱くことがあり、それはそれで非常なもので、それこそとても精緻な監視に集中できるものではないとのこと。精神を害する危険がありながら、未だ監視が「記録部隊員」に担われているのにはそういう事情もあるらしい。

 

監視室は、拠点の外れに急ごしらえで建造されたバラックである。
私の任務はここから監視鏡を経て視認できる円筒状構造物の記録であり、私は自前の筆記器具と数冊の蔵書を持ち込んで、もっぱらここに閉じこもった。
囚人ではないので、拠点内の移動が全面的に制限されているわけではないのだが、私はどうも外地部隊のむさくるしい、というよりは逞しい雰囲気が苦手であった。
意外なのは、この監視が交代制ではないということである。しかし考えれば妥当なことで、結局「海」を視認しないわけにはいかない以上、交代制を組んで複数人を同時並行で病ませるよりは、独りを最後まで使い潰そうという魂胆であろう。ともすれば学のない外地部隊を「使い捨て」と軽蔑する輩もいる記録部隊であるが、その点では我々も「手足」に過ぎないということだ。さらに言えば、便宜上「有事」の兵力として存在する外地部隊であるが、目下「海」には我々に明確な敵意をもって在る生命はおらず、その事実上の任務が拠点の修繕といった肉体労働に過ぎない以上、「使い捨て」なのはむしろ記録部隊員であった。
しかし私は外界、もといあの構造物の監視に浮足立っており、その事実を別段悲観するでもなかった。「海」に点在する幾多の構造物の監視記録はまとめて文書化されており、幼少のころ夢中になって読んだそれらにいま実際に相対していることを思うと自然と笑みがこぼれる。監視鏡の改善により新たに確認された円筒状構造物の記録任務。あの文書に自分の署名付きで新たな1頁が付されるのだ。冷静になれというのが無理な話である。
さて、円筒の特徴は2点ある。

一つはその頂点に確認できる青々とした木本の存在。
もう一つはその安定性である。
前者は我々の生きる「海」にはおよそ「生命」と呼べるようなものが存在しないという点から見て異質であり、後者はこの「海」には底がないという物理的事実から見て異様であった。
円筒に存在する窓のような構造は、一見すると単なる四角形の穴だが、いくつかのそれには外部に対して微細に突出する風化した凹凸がみられ、かつては何かが接続されていたように見える。奥の風景が見えないということは、背面部に穴はないのだろうか。
ミナモに沈む扉は一見すると無傷であり、「海」の浸食を受けていないのは特筆に値するだろう。
円筒表面は驚くほど滑らかな白色で、一切の彩度を感じさせない黒い開口部と対照をなしているようだった。
頂点の鉄柵だけは腐食がひどく、一部変色して原型をとどめていない。
茂みは複数種の木本からなるらしく、黄金色の果実を実らせた熱帯性のものと青々とした温帯性のもの、針のようにとがった冷帯性のものが混在している。そしてそれらを縛るように蔦様の草本がまとわりついているのだった。
円筒の撮影、確認できる限りの特徴の子細な記録、そして過去に確認された構造物との比較やスケッチ等に、私は三日を費やした。

 

四日目、朝食を済ませ監視室に戻ると、そこには一人の外地部隊員がいた。筋肉質の体躯を屈ませて、夢中で監視鏡を覗いている。私の入室には気づいていないようだった。
「たかが円筒が、そんなに面白いかい」
外地部隊が記録部隊の仕事に関心を持つはずがないと、若干の皮肉を込めて私は語り掛ける。隊員は驚いて飛び上がり、天井に頭をぶつけた。見上げるような高身長である。
「あ、いや。まあ、ええ、そうですね。あれはとてもきれいだ。というか、すみません。勝手に上がり込んで」
外地部隊にしては、そして体躯にしては吃り気味の、ひどく腰の低い物言いである。
「いや、別にいいんだ。立ち入り禁止というわけではないからね。プライベートな空間に土足で上がり込むのはいただけないが」
「は、土足ですか…。靴は、この通り脱いでおりますが」
「…まあ、そうだろうね。それは当たり前だ。それよりも、さっき『きれい』と言ったね。何だい。外地部隊の連中にも、あんなのが好きな一派が居るのかい」
「一派、と、言いますか、自分だけなのですが…。ええ、初めて見た時から、あれは非常にきれいなものだと、そう感じておりました」
「すると、あれの発見者というのは君か。ええと、アルツール君だっけ」
「ええ、新型監視鏡の試験時に―というのは、自分が志願したからなのですが、偶然見つけまして、それからというもの、あの風景が、心から離れませんでして、あ、そうです。自分、アルツールと申します」
「ということは、ぼくはきみの見つけたものをかっさらっていったことになるわけだ。なんだか申し訳ないね」
「いえ、いえ。別にそんなことは、思っておりません。いずれ、あれに上陸するときは、自分が、先頭に立ちたいとは、夢想して、おりますが」
そうか。そういえば失念していた。私の記録任務が済んだ暁には、外地部隊の特に優秀な一団があの円筒に上陸するのであった。そして安全が確認されたのち、構造物を拠点化するのである。この拠点もかつては不明な構造物であったのだ。この地に至ってから、我々はそうやって生きる場を得てきたということは、外地・記録部隊に限らず広く知られた歴史である。
「すると君は相当に優秀なのだね。ぼくのような記録部隊員には想像もつかないほどに」
「いえいえそんな、さっき、夢想と、言いました、でしょう。私は、なにぶん、こんな気質ですから、そんな華役など、夢のまた夢で」
危険な任務を「華役」というあたり、彼もまた外地部隊の端くれといったところなのか。そう思ったところで、そういえば私もゆくゆくは病まざるを得ない境遇に嬉々として飛び込んでいることを思い出した。どうやらこれは人間一般の気質であるらしい。
「まあ、何だ。それは頑張るほかないのではないかね。『努力すれば夢はかなう』だっけか。そんな訓示を外地部隊の区画で見た気がするよ。さて、そろそろ私も仕事をしなければならないのでね。出て行ってくれるとありがたい」
「あ、ええ、そうですよね。すみません。お邪魔しました」
そう言いながらも、未練たらしくまごまごしているアルツールであった。

見かねて、というか早く出て行って欲しいので、私は折れた。
「わかったわかった。私が食事に出ている間は、ここにきて好きに覗いて良いから」
「本当ですか。それは、とても、ありがたいです。なんといったらよいか。ええ。では、また来ます」

彼が出ていったあと、私は監視鏡を覗きながら考える。
どうやらアルツールは外地部隊でありながら、「海」の凝視にばかばかしさを覚えないようだった。そんなことがあり得るのか。
「海」の凝視に対する反応は生得的で、それこそ外地部隊員の選別に際する基準に関連があるようなものだと、私はそう見ていたし、現にそう考えられていた。「海」の凝視に飲まれず、かつ気を病まないからこそ、外界での任務につけるのだ。記録部隊員が「海」を凝視すると、それこそのめりこんで、いずれ飲まれる。「海」に冷静に相対するには、一種の乾いた眼が必要なのである。
まあつまるところ、人間の気質というものはそう簡単に二分できるものではないということなのだろう。外地部隊にも記録部隊的な気質の輩は交じり得るし、記録部隊にも外地部隊的な気質の輩はきっといるのだ。そう考えると、アルツールの夢は叶いそうもない。外地部隊は繊細で感性豊かな隊員が評価を受けるような、そんな柔軟な部局ではないだろうし。
そんなように、アルツールに対して一種の憐憫のようなものを感じながら、私は仕事についた。
それからアルツールは毎日監視室を訪れ、嬉々として監視鏡を覗くようになった。こんな気質の人間が外地部隊でうまくやっていけるとは到底思えない。きっとこれは彼が唯一心休まる時間なのだろうと思い、私は黙認するどころか、過去の記録等も見せてやった。彼は子供の様に眼を輝かせて記録を読み漁り、構造物に関するその知識の吸収には眼を見張るものがあった。
彼の来訪は日常となり、一週間が過ぎた。
そして二週間が過ぎようとしたとき、ことは起きた。

 

昼食を済ませ、私は部屋で読書をしていた。

監視鏡を覗いていたアルツールが素っ頓狂な声を上げた。
「あ、あれ、見てください。あそこで何か、何か、動いています」
見ると、円筒の下部、閉ざされた扉の一つ上の窓辺で、何やら蠢く白い塊が居た。
私はアルツールに他言無用を約束させて退去を命じ、監視室の扉を固く閉ざした。
このとき私の中に沸き起こった黒い感情について、弁明するつもりもなければ恥じるつもりもない。人間一般の道徳としてこれを諫める空気は確かにある。しかしこの感情を抑圧することを私が知っていたならば、この拠点で名誉ある職に就くことはなかっただろう。利己的で、それゆえに貪欲で純粋な荒れ狂う探究心。これこそ私をして記録部隊にせしめた生来の気質であり、これこそ記録部隊が記録部隊たるゆえんである。知ろうとする欲望にぎらつく眼がなければ、このような仕事には就いていない。
アルツールに対し申し訳ないという感情もあるにはあるが、そう思う一方で、奴の気質では、このことを言いふらしはしまい。言いふらしたとしても奴の言葉を信じる外地部隊員はおるまいというのを確信する私もはっきりと居た。
構造物に生命が在るなどというのは訊いたことがない。これは世紀の発見ではないか。
白い塊はぼんやりとした人型で、窓辺に腰掛けているようだった。顔にあたる部分はぼやけてよく見えないが、それは子供の落書きのようなもので非常にシンプルなように思えた。竿のようなものを垂らしており、暢気に足をフラフラとさせている。私は片目で「それ」を目に焼き付けつつ、詳細なスケッチを取り始めた。
竿がしなった。「それ」は立ち上がり、えっちらおっちら引き上げ始めた。

非常な苦労の後、「それ」が釣り上げたものは「山椒魚」であるようだった。
山椒魚」とは「海」に漂う物体である。ゼラチン質で四足動物様のシルエットをしており、意志なく流れるだけ。陸にあげるとすぐに崩壊し、喰えたものではない。我々はそれを生命とは見なしていなかった。
しかし「それ」が釣り上げた「山椒魚」は崩壊することなく、「それ」は「山椒魚」を抱きかかえて内部に消えた。
間違いない。「それ」がしていたのは間違いなく「山椒魚」の釣りであり、「それ」は意志をもって円筒に巣くっている。
私はこれらのことを文書にまとめ、記録映像とともに基地へ送付した。順調にいけば、私は革新者として尊敬のまなざしを受けることになるはずだった。
しかし、そうはならなかった。
数日後、今にも泣きだしそうなアルツールが監視室に現れた。
「円筒の、爆砕が、決まりました」
私は椅子から転げ落ちた。
「何故だっ!?あの世紀の発見を、何故打ち壊す!?」
「世紀の、発見とは、何のことですか、ひょっとして、私が見た、白い塊と、何か関係があるのですか」
「いや、あれは関係ない。あれは見間違いと断定されたよ。それより、爆砕とはどういうことかね」
私は努めて冷静にふるまおうと決心した。何かの間違いに決まっている。
「本部、もとい、基地への、定期報告のあと、基地から、特別大きい、戦艦が一艇来まして、それから降りてきた、部隊が、そう、いっているのです。長老衆直々の、命令だと」
言いながらアルツールは泣き出した。
長老衆?
私は監視室を飛び出した。
ブリーフィング・ルームには異様ないでたちの一団が坐して、周辺の地図を睨めていた。
隊長格と思しき人物が私を認め、部屋に誘った。
「貴官が円筒の担当隊員かね。今回はよくやってくれた。貴官の報告の後、緊急で長老会合が開催され、今回の爆撃が決定されたのだ。貴官は今回の働きによって、長老衆直々にお褒めいただけることになった。爆砕後、一緒に来てもらう」
そこからは一切がアッという間だった。
監視室に戻ると、すでにアルツールの姿はなかった。部屋に閉じこもって泣いているのだろう。
私はぼんやりと監視鏡を眺めた。
見たこともない仕様の戦艦が、円筒手前に停泊し、総攻撃を開始した。
大砲、魚雷、機銃、その他云々。
円筒は何の抵抗もなく炎上して崩れ落ち、後には黒煙と黒い凪のみが残った。
燃え盛る頂点が凪に飲まれる刹那、もだえ苦しむ「それ」が見えた気がしたが、きっと気のせいだろう。
事実、一切が気のせいということになった。荷物をまとめる間もなく戦艦に乗せられた私は、たった一日の内に基地に到着し、長老衆直属の隠密部隊に連れられて、長老の一人に謁見した。
長老は白髭を蓄えた非常に老齢な仙人であり、その綴じた瞼の奥の眼窩には、すでに眼球はないのだという。
私はその瞬間まで、少なくとも褒章か何かが授与されるのだと思っていた。しかしそれは救いようのない誤解であった。
私の入室に気付いた長老は、無い目で私を見遣り、一言こう告げた。
「ご苦労様。疲れたろう。もういいよ」

 

精神錯乱という名目で、基地地下にある面会不可の独房に収監された私は、来たる処刑の日を待つ身となった。いや処刑というほど仰々しいものではないだろう。
処分。
そうだ。精神錯乱者を養うほどの蓄えは、我々にはない。
暗い独房に蹲りながら、独り思う。
愚かなアルツールのこと、気のせいである「それ」のこと、そしてこの厚い壁を隔ててすぐそこにある黒い「海」のこと。
いっそ、この魅惑的な「海」に飲まれた方が幸せではないのか。
そう思い、幾度となく壁に頭を打ち付けるのであったが、ばかばかしくてやめてしまった。
絶望的な気質の最奥に至って、結局のところ、私は純粋な「記録部隊員」ではなかったらしい。

中途半端な、醜き存在。

滑稽なほど愚かな、アルツールと同じ。
そういう観念を自覚すると、不思議と「海」が恋しくなったりするのだった。
しかしもうそれも叶わぬ。
独り嗤う。
それだけ。

 

 

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おしまい。