「社会に生かされているのだから感謝しなさい」という言説は,内心の自由として認められはせよ,決して強制にはなりえない.
そもそも「人が生きていける」というのは,社会が社会であるための必要条件である.
逆に言えば,「生かされる人が存在しているおかげで,社会は社会たりえている」のである.
人が生きていけること,これが逆に奇跡であるような社会は,すでに崩壊したか,あるいは未だ未発達の共同体の先駆けに過ぎない.
故に,「社会に生かされているのだから感謝しなさい」という言説は,人格化した社会に対して「我々に感謝せよ」と叫ぶような一種滑稽なものである.
社会という概念を偶像として過度に神聖視する一種の宗教的定言命法であり,信仰の自由として認められるにせよ,それを他者に強制する行為は横暴かつ不当な越権行為である.