原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

さあ永遠なる充実への飛翔を

さあ永遠なる充実への飛翔を

 

 1

 

 大学2年の夏の終り、私は地方に棲まう伯父の元を訪ねることになった。母の年の離れた兄にあたる伯父は、一族、特に5年ほど前に亡くなった祖父との折り合いが悪く、その葬式にも姿を見せなかった。多浪の末にやっと進学し、反対を押し切って院まで進んだ首都の大学をなんの相談もなく中退したところから、彼らの関係は取り返しのつかないものとなり、それ以来顔を合わせたことはないという。母から聞いた話だ。

もともと病気がちであったと言われる伯父が、ついに寝たきりの重病人に相成ったというその知らせも、本人からでなく、担ぎ込まれた私立病院からの連絡だった。

その伯父の見舞いを仕ったのがこの私である。理由は単純明快、暇だからだ。朝の遅く、ほとんど真昼に目を覚ました私は、けだるげに身支度を整え列車に乗った。華の大学生が夏休みに親戚の見舞いとは…。と思ったけれど、地方への小旅行と考えれば別に悪いものではないだろう。長期休暇中に読もうとため込み、そのくせ夏も終わろうというのに開いてすらいなかった数冊の小説を齧りながら、数回の乗り換えを経て、心地良い午後の光のまどろみから目覚めた時には、夕暮れの田園を映すワンマンに独り居た。

中規模のショッピング・モールと複合した駅舎からバスに乗り、古今の建物が混在する旧城下町の黄昏をぼんやりと眺めながら、私は記憶の中の伯父を想起した。それは彼が大学を中退する直前期のシルエットであり、おそらく小学校に上がるかどうかであった頃の私の眼には、それがとても老成した人間のように見えた。気がした。少なくとも「おじさん」という呼び方はしていなかったと思う。当然、「おにいさん」とも。和やかな雰囲気の片隅で、独り沈鬱に佇んでいる情景ばかりが想い浮かび、なんだか生気を吸われていくようであったので、私は考えるのをやめた。

バスは郊外を目指し、城下町を見下ろす町はずれの丘に、その私立病院はあった。

三方を鬱蒼とした森に囲まれたその建物は、淀んだ池を囲むコの字型の造りで、正面入り口の鉄扉は片方がすっかり錆び落ちてしまっていた。見るからに陰鬱。ほとんど面識のない伯父との面会などさっさと済ませて、宿の温泉に浸かりたいと思った。そんな私を出迎えたのは、院長を名乗る色白の小柄な生き物だった。

「集落の年寄りを稀に診るくらいで、床はすっかり閑古鳥だ。じじつ、今いるのは君の伯父さんだけなのだ」

妙にしわがれた甲高い声でそう言うと、それはケタケタとぎこちなく笑った。

池を見下ろす3階の病室に、私の伯父は棲まっているのだった。

古い木造の扉を開けると、とりあえず荷物を除けただけの物置のような部屋が現れ、その窓辺には、長身のひどく痩せこけた「老人」が、今にも完全に消失しようという日の光を見下ろして臥せっていた。私の入室に気づき、そのままの表情でこちらを振り向いたその「老人」は、眼を細め口角を歪ませた微笑みのままこう言った。

「よくきてくれたね。お嬢さん」

ひどく乾いた、しかし穏やかな声だった。

 

 

「お久しぶりです。伯父さん」と、ぎこちなく会釈したところで場の空気は停滞し、私は入り口でただ曖昧に微笑み返すばかりだった。すうっと溜息を吐くように口火を切ったのは相手のほうだった。

「君は…ぼくの姪にあたるのかな。大きくなったね。ああ、とりあえず掛けたまえ。何、遠慮することはない。確かにぼくは見るに堪えない醜い容姿だが、この通り床に固定されているのだから。たとえ相手が年若い女性であったところで、とって食えやしないよ」

「あ、どうも。伯父さんも、元気そうでよかったです。寝たきりとだけ聞いていたから、てっきりもっとひどいものかと思っていました」

「ははは。そうか、『元気そう』か。なるほど。確かにぼくは万年病気みたいなものだったから、こんな有様になったとしても、実のところ普段と大差ないのかもしれない。しかし、普段のぼくを注視する人間など皆無だ。そういう意味で見れば、『元気そう』というのはなかなか奇異な感想にも聞こえる。君と最後に会ったのはいつになるのかな。ぼくの記憶に在るのはまだ幼く自我のない君だけなのだ」

「ええと、確か小学校に上がる前の、十四、五年くらい前だったような…」

「ああ、ぼくがあの忌まわしい大学と決別したあたりの頃か。確かにあの頃は典型的な鬱状態が日常だったから、それはそれは不健康に見えたのだろうね。そうか、もう十数年になるのか。ならば、順当に行って大学生ということになるのかなぁ、君は。―そうかそうか。君はぼくと違って優秀なんだね。ところで、大学は楽しいかい?」

「ええ、まあ、ほどほどに。本音を言えば、もっと充実したところだと思っていましたが」

試験に負われながら過ごした昨年のクリスマスを思い浮かべながら、私は答えた。

伯父の肩が小刻みに震えた。

「ほう?充実か。君は、充実していない?まさか、日々に不満を抱いているわけじゃないだろうね?当然、友人はいるのだろう?ともすれば、恋人も。自由で健全な青春を謳歌して、素晴らしき日々を送っているんだろう?そうだと言ってくれ!そうでなくっちゃ駄目だ!人の子は、そうなる義務があるんだよ!―あっは、げっ、げ、え」

突然興奮して述べ立てたかと思うと、伯父はそのまま咳き込んで体を倒した。私は驚いたが、咳き込む姿があまりに痛々しく、反射的に腰を浮かせた。しかし伯父はそれを制し、どもりながら叫んだ。

「いいんだ。ああ、これで良いのだ。大丈夫、死にはしない。『まだ』死にはしない。ふふふ。おお、君は優しいのだね!こんな、こんな醜人を気遣うなど…。ああ、大丈夫、大丈夫だ。ほら、こんなに『元気そう』だろう?なあに、当てつけじゃあないさ。じじつ、ぼくが向かおうとしている容体は、死というにはあまりに生的なものだからね。いや、なんでもないよ。一つ言っておくとすれば、ぼくの状態は、君が思っているよりもはるかに素晴らしく、そして妥当なものなんだ」

こうした椿事があったものの、その後の伯父は基本的には穏やかな様子で発話した。

私たちは他愛のないことを、つまり、それが一般にどういうものかはわからないけれど、おそらく伯父と姪が話すようなことを、とりとめもなく、一時間ばかり話した。それはときに相談じみていて、またときには思い出話のようだった。仰々しく特筆すべきことなんてまるでなかった。けれど、ときおり発作的に咳き込む伯父の姿が、不思議と愉しそうに見えたのはなぜなのだろう。

帰り際、伯父はこんなことを言った。

「人と話すのは久方ぶりだから、愉しかったよ。君はどれくらいこっちにいるんだい?―そうか、なら明日は街でも見るがいいさ。何もないが、何もないことがかえって美徳となる素晴らしい街だよ。ここは」

重病人とは思えない、とても穏やかな声だった。

「ええ、そうします」

私は答えた。

 

 3

 

病院を出るとき、裾を引くものがあった。振り返ると、院長だという小柄な生き物がいた。

とっくに日も暮れて、早く休みたいというのに、いったいなんだというのだろう。

「伯父さんと話したのかい」

「ええ、話しましたが」

「彼、狂っていただろう」

「いきなり何です。まったく普通に見えましたが」

「嘘だね。そうであるなら、一仕事終えて宿に向かうであろう娘の顔が、そんなに陰鬱であるはずがない。そうだな、例えば、重病であるはずの伯父さんがなぜだか幸福そうに見えたりは、しなかったかしらね」

「…確かに、思っていたよりは活き活きとしていましたが」

「ははあ!そうだろうそうだろう。だからこそ、僕は彼を引き取ったのだ。彼は狂人だ。それも理性的な狂人だ。あくまで批判的に突き進んで、唯一妥当だと言い得るところに行きついた孤独者だ!孤立者だ!僕は彼に似た人物を知っている。彼に興味を抱いたのも、彼にその似姿を見出したからだ。そいつは『真の、そして新しい白痴』を自称する、僕の学友だった。いいかい、『白痴』とは、最も幸福な概念の名称だ。それは君の伯父さん、つまりは理性的狂人と同じ、唾棄すべき他者が『狂っている』と定義しなければどうにもならない存在だ。そこでは一切の価値観が妥当に逆転して、肯定される。善が悪となり、悪が善となる。いや、善悪など全く低俗な話だが、まあ、まあ、そんなことはどうでもいい。とにかく、僕は彼を最後まで記録するつもりだ。僕は彼の最後をこの眼で見届けるつもりだ。彼が完成するその様を!うふふ、うふふ」

院長はだぶだぶの白衣に埋もれた両手を合わせて、歪に謳い上げた。

頭がおかしい。そう思ったし、この狂人のもとにある伯父がとても憐れに思えた。

その夜、果たしてそんなに陰鬱だろうかと鏡を睨めながら、私は母に連絡を入れた。

伯父はとりあえず元気そうであること。そして、院長の気が触れていること。母の返事は思いのほか簡素であった。簡素というよりは、ひどく無関心であった。いよいよ伯父が憐れに思えてきて、私は独り苦悶した。確かに若干奇異なところや、いささか卑屈が過ぎるところもある。けれども、悪人ではない、どころか単に善良であるような伯父が、独り病に臥せり、気の触れた医者には面白がられ、実の妹には心配の一つもされないというのは、不公平ではないか。

「妥当」、そんな言葉が思い浮かんだ。伯父が言っていた気がする。そしてあの頭のおかしい院長も。伯父は自身が醜いと言っていた。それが比喩でも何でもない、そして救いようのない現実的な感想であるなら、この仕打ちは「妥当」なのだろうか。発作のさなか、伯父は自らを「しゅうじん」と呼んだ。囚人?あるいは、「醜人」?痩せ衰えた伯父は確かに美しくはないだろう。しかしだからと言って、この揺らぎようのない現実が「妥当」であって良いはずはない。倫理や哲学なんてとんと分らないけれど、それは不正義というものではないか。あー。

どうしようもない、方策も知らない事柄について独り悶々と考えたり憤ったりしているうちに、私は眠りに落ちた。意識を失うさなか、つまりは袋小路に入って半ば投げやりになった考えにうんざりしてきたところで、私は伯父の勧めを思い出したらしかった。

すなわち、「明日は街でも見て歩こう」。

あるいは、罪深い逃避かもしれなかった。

 

 4

 

 次の日、私は土地の史跡旧跡を見て回った。少なくとも、伯父の言う「何もない」は言い過ぎであることが分かった。連なる寺院や、杉山に埋もれた夥しいお地蔵様などは、昨日イヤというほど味わった陰鬱な気分をまったく吹き飛ばすほどに素晴らしいものだった。

 爽快。冷涼。安堵。

 市民会館に併設された歴史資料館を眺め、かつては華々しい学都であったこの街の姿に思いを馳せた。当地出身の作家が自らの出自に言及している一文が取り上げられており、思わずにやけたりもした。

 一通り見て回ったのち、地元の大学の学食で少し遅めの昼食をとる。そこには様々な人々が居た。歓談する一団、談笑する二人組、そして、独り俯く学生たち。ひとたび俯瞰してしまうと、私はまたとりとめのない想念に囚われるのだった。伯父は一体どこに居たのだろう。病に臥り、「忌まわしい」と思い返す学生生活とは、どのようなものなのだろう。窓辺の席で、曖昧に嗤って独り佇む伯父の姿が見えた。ああ、どうしようもない呪わしい想念だ!

 私はどうしてこんなにも陰鬱なものに関与してしまったのだろう。私の身には関係のない、いや、あるかもしれないけれどそうは思えないし思いたくもないあれやこれやについて、どうして独り義憤にかられたような気持にならなければならないのだろう。伯父が伯父でなかったら?あの病人が親族でなく、私には何の関係もない他人であったら?そう考えると、伯父の姿がひどく惨めに、そして醜く思える代わりに、想念は夢散するように思えた。しかし、これはいけないことだ、「人として」許されない罪禍だという確信も同時に起ってしまうのだった。

どうにも捉えがたい漠然とした不満感が胸の奥でくすぶっているような感じがして、私は不快に頭を振るった。深呼吸をして、無理に笑ってみた。

不思議と既視感を覚えた。

午後は城下を中心にひたすら歩いた。小物屋や喫茶店、あるいは猫の居る広場などをまわって、一点を凝視しないようにしながら、私は観光した。

夕暮れ、私は果物を携えて病院へ向かった。昨日の雑談の中で、伯父が好物として瑞々しいものを挙げていたのを思い出したからだ。あの陰鬱の中心、そして気を違えた院長が居る病院にはできることなら向かいたくはなかったけれど、伯父が喜ぶのならどうということはないと思った。彼は報われるべきなのだから。

案の定、伯父はとても喜んでくれた。

「わあ、こいつは嬉しいね。ぼくの乾いた肉体とは良い対比になる。これらが腐らないうちに逝きたいものだ」

良い人ではあるのだけど、どうしてこんなに卑屈というか、陰気なんだろう。そんなことを思いながら、私は本当に軽い気持ちで諫めたのだった。

「縁起でもないこと言わないでください。伯父さん、しっかり食べて、良くなるんです」

「うん?ぼくは『良く』なっているんだよ?」

伯父は顔をあげて、不思議そうにこちらを眺めた。それはひどく痩せこけて、ほとんどシャレコウベのようになった顔だった。その眼窩に埋まった瞳は、何らの他意もなくひたすらに純粋な輝きを呈していた。伯父が発するすべての言葉。それらが全くの冗談でも比喩でもないと確信したとき、私は目の前に居る人間が人間ではないように感じ、そしてじじつそう考えてしまった。理性的狂人。あの狂った院長のそんな名辞が、私の頭をよぎった。それは許されないことであるのに。

「何を…」

絶句する私を気にすることなく、伯父はバスケットから林檎を持ち上げて眺めて見せた。

「やあ、綺麗だ。こんなに綺麗なものが寄せ集まっているというのに、どうして世界は醜いんだろうね。いや、世界なんてどうでもいい。こうして個物を愛するのは、美徳だよ」

アッ。

短い悲鳴が上がり、林檎が床に転がった。それは伯父の発作によるものであったが、身をよじる伯父に駆け寄ろうとは、もう思えなかった。

烈しい苦痛のさなかにあって、彼は確かに嗤っていたのだ。

 

妙にそわそわしているふうな院長を尻目に、私は宿に戻った。もう何が何だか分からなくなって、というより、最初から一体何について悩んでいたのか、それが妥当なことなのか、自然なことなのか、良いことなのか、健全なことなのか、すべきことなのか、許されることなのかが全く分からなくなって、私は独り布団をかぶって呻いた。

何も考えたくなかった。考えられなければいいと思った。眼を瞑って、同じ文句をなんどもなんども繰り返した。呪わしい想念。呪わしい想念。呪わしい想念。呪わしい想念。

居なくなってしまえばいいのに。

伯父の危篤の知らせが病院から入ったのは、その深夜のことだった。

 

 5

 

 歓喜に満ちた悲鳴とでも言うのだろうか。苦悶の頭を押さえつけて、高らかに勝利を叫ぶような悲鳴が、月夜の病院の廊下に響いていた。

 少なくとも、駆け付けた私の眼に映ったのは、骨と皮ばかりになった腕を掲げて感嘆する伯父の姿だけだった。恐慌状態に陥った老人は、諳んじるように、あるいは呼びかけるように、叫び歌っていた。

「星が見えるかい?見えるだろう?そう、見えるんだよ。

この指を見たまえ。この皮膚を、この顔を、この四肢を見たまえ。日に日に痩せ衰えていくぼくの肉体を、よおく見ておくんだ。ふふふ。これは何だろうね。これはれっきとした変化だよ。確実な、眼に見える、完成へと向かう着実な変化だよ。ねえ、これは素晴らしいことだろう?ぼくは何も意欲していない。ぼくは何も志向していない。そしてなにより、ぼくは何も、これっぽっちも努力していないんだ。だのにぼくは日に日に変化する。自己のありようが、何の意図も行為もなしに変革されていくんだ。ただ一つとして存在するのは、そうだね、もはや変革の徴としての苦しみだけさ。君はこんな言説を聞いたことがあるかな。ぼくはなんどもなんども聞いたことがあるよ。

「甘えるな。苦しんでいるだけじゃあ、努力したことにはならない」

ふふふ。なんて俗的で傲慢な、そして愚かで安っぽい罵倒だろうね。努力とやらをしたつもりでいる人間は胸を張ってこう言うんだ。「俺達には嘆く資格がある。努力して、自分を変えようとしたのだから。お前たちには嘆く資格すらない。苦しみに甘んじていたのだから」

あっは!本当に、本当に本当に馬鹿げているよ!ほら、ぼくを見るんだ。日に日に自己改造を成し遂げるぼくの心身を凝視したまえよ!ぼくは何も努めていない。しかし、努力とやらに縋った連中の、努力を盾に人間を侮蔑する連中の、おお、健全な連中の!その誰もがなし得ない変化をぼくは享受しているんだぜ。

星が見えるかい?ぼくには見えるよ。こうして伸ばしたぼくの腕。星を掴むんだ!見よ、この骨ばった腕を!昨日よりもさらに細くなって、筋がくっきりと浮き出ているよ!

ふふふ。美しいね。乾いた腕だ。老いて乾いた腕だ。ほら、こうやって、指を伸ばして、ああ、心地良いね。筋肉の充実だよ。日に日にはっきりしてくるんだ。全身の筋肉がこれでもかと緊張して、耐えられないほどの充実がぼくを満たしたとき、変革は完了する。あらゆる苦痛が意味をなし、あらゆる怠惰が陽の目を見る。

ぼくは完成するんだ。充実を湛えた老骨として、変革の絶頂として、すべての健全者に見せつけてやるのさ!ひたすらの苦しみの中にあって、ぼくは誰よりも充実していたとね。

ああ、ああ、とても楽しみだよ。それを思うたび、心の筋肉が毬のように痙攣するんだ。

ぼくは全世界に宣言するだろうね。

病は素晴らしい。それは何らの努力もなく、この身に最高の変革をもたらしてくれる

あっは!星だよ!星だっ!星空の本質は、その背景たる暗闇にあるのさ。そして暗闇の本質は、その果てのない受容性にある。すべてのものを受け入れる、同情と共苦の源泉…」

 

2度目の、そして決定的な発作が起こった時、伯父は完成したのだろう。

月明かりが最大にきらめいた夜、病室の扉は不自然に施錠されていて、院長が扉を蹴破った時には既にそこに生命はなかった。伯父は両腕を最大に開いて、何かを抱き留めるような、あるいは受け入れるような形で硬直していた。全身は木乃伊のように痩せきっていて、そしてその表情はこの世のものとは思えないほどに「充実」していたそうだ。

院長はそれまでの気の触れた様子とは打って変わって淡々となり、あくまで事務的に手続きを済ませてくれた。私が伯父の少ない遺品を持って発つときにはわざわざ駅まで見送りに来てくれた。

「お悔み、とは死んでも言わないさ。それは君の伯父さんが望んだことではないだろうから。結局のところ、形而上じみた思想を貫いて、最後にその実践をもって逝ったことは事実だ。末期を誰にも見せなかったというのは、そういうことなんだろう。人は見られることで、どうしようもなく現実に縛られるのだから。僕の哲学とは相いれないけれど、素晴らしい症例にはなる。ぼくは伯父さんに敬意を表するよ。望んだとおりになったのに変わりはないのだからね。なに、心配はいらないさ。伯父さんが受け入れ、そして没入した「充実」とやらは、少なくとも、そこで眠る分には申し分ないところなんだから」

寂れたワンマンは、街を出、しばらくの田園を写したのち、長いトンネルに入った。くすんだ車窓は母に似た私の顔を写す。そして、母はけっして口にしなかったことだが、この兄妹は瓜二つなのである。無理に笑ってみると、そこには死んだ伯父のあの微笑みがあった。しばらくそうした後、馬鹿馬鹿しくなって苦笑する。何も語ることはない。教訓などなかった。伯父は狂っていたのだ。そしてあの院長も。あの廃屋に籠って、狂人どもの謳う幻想を見せられていた私には、だから、得るべき所感などないし、あってはならないのだ。

正当な所感をもちえない人間が、いかに幸せに崇高に見えるとしても、その模倣は醜いだけなのだから…。

いや、いや。何のことはない。

私は私の住む街に帰り、またいつもの単調な生活が再開されるだろう。

大学生活。親友と語らい、恋をし、後になって誇らしげに振り返る、素晴らしい日々。

入学時に抱いたそれらは、未だ私の胸にときめいているんだから。

トンネルを抜ける。

「うあ」

車内を満たす午後の日差しを忌々しく思いながら、大学2年の夏は終わっていくのだ。

 

 Epilogue:破かれた紙片。

 

君はこんな表象をもったことがないだろうか。

暗闇。一面の暗闇の底。それは黒い深海の底であろうか、

その重く冷たい暗闇の底に、独りの老人が座っているのだ。

高い額に落ち窪んだ眼、何の感動も、何の充実もなく、ただ最奥に蹲る独りの表象を。

私には、その有様がひどく妥当なように思える。この世の底辺世界に、ただひたすらに黒い海が横たわっているならば、そこには彼が居なければならないのだ。

様々な怨嗟が、呪詛が、憎悪が落ちてくる。

敗者たちの、惨めな醜人たちの烈しい自我だ。

独りの老人が、その痩せた両腕を海へ伸ばす。

すべてを抱き留めて、そして許容するのだ。

愚かしい者たちは、私たちは、そこで初めて安眠する。

黒い海は、ずっと凪いだままなのだよ。

私には、そこが、ひどく暖かいところのように感ぜられる…。

学生時代。ひどく漠然として、それでいて身を焼く惨めな苦痛のみがはっきりと実存するあの呪わしい時代、私はずっとこんなことを考えていた。

「苦しみに、意味はないのだろうか」

私は息の詰まる苦しみのただなかにある。しかし、この苦しみのただなかにあっても、我が身になんの変革ももたらされないならば、それは怠惰であろうか。臆病であろうか。甘えであろうか。

断じて否。私はそう仮定したのだ。

これは若者特有のニヒリズム趣味だろうか。違う。これはもっと烈しい嫌悪だ。

他者との関係。軽蔑、嘲笑、罵倒、笑顔。

嗤われるのはいつも惨めな者どもであり、装いようもなく真に歪な者どもであり、醜い者どもだ。それは私だった。そういった者どもが、縮こまり、蹲り、震えて自虐的になり、更に落ちぶれていく有様に、何か意味を見出そうとするのは、怠惰なことだろうか。

「昨日まで怠惰だった者に、明日まで怠惰である者について語る資格はない」

「環境に順応した人間の在り方。その一意的な現状に、他者が関わるのは越権である」

そういった急ごしらえの所感をよすがとして、私は思考した。

既に孤独者のものではなくなった華やかな夜を歩き、人の眼におびえながら、それでも確固たる意味を夢想して、私は苦しみの中に身を置き続けた。

甘えだと言われた。愚かだと言われた。現実を見ろと、大人になれと、嗤われた。

しかし、醜人である私に、閉塞した苦痛に凝固した私に、退路はなかった。

その男に出会ったのは、そんな時だった。

彼は「白痴」と名乗り、風鈴のように笑った。

月明かりが照らす丘で、彼と語らったときの安堵は忘れられない。

尤も、彼が諳んじる形而上的な議論など、不勉強な私にはとんと分らなかったけれど。

最後に彼は私を肯定し、そして言った。

「一つだけ確かなことを言っておこう。いいかい、君が何を思おうが、そして何をし、どう転ぼうが。それが『君にとって』無駄だってことは、決してありはしないんだ」

他愛のないトートロジーだが、さりげなく放たれたその言葉が、ひどく胸にこたえて、ぼくはぎこちなく笑ったんだ。

次の日からだよ。ぼくのもとに、不治の熱病が訪れたのは。

 

 

※この紙片は、昨年狂死したある女学生の机から発見された。乱暴に破かれた紙片はひどく古いもので、つなぎ合わせたところ、無数の呪詛に埋もれた右の文章が現れた。呪詛は女学生の筆跡と一致したが、文章の筆跡は当人と一致せず、その筆者及び内容については、現時点で不明なままである。

 

 

おしまい。

 

 

 私はいつになったらふわふわなお話を書けるんでしょうね。