原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

人を恋愛に駆り立てるものは何だ。

 

動物的な、いわゆる「本能」か、

あるいは心委ねる安息を求める衝動か、

あるいは「それが普通であり当然だから」という、劣等感に対する恐怖か。

 

第一の場合は肉体的恋愛であり、

第二の場合は精神的恋愛であり、

第三の場合は他所行きの仮面である。

 

第一の場合は肉体としての他者を求め、

第二の場合は人格としての他者を求め、

第三の場合は存在としての他者を求める。

 

第一の場合は行為そのものに重点が置かれ、

第二の場合は時間そのものに重点が置かれ、

第三の場合は自分のみに重点が置かれる。

 

私の場合、第二第三の要素、すなわち「安息」と、「人並みに恋愛を経験した」という事実そのものが大部分を占めると思われる。

第一があるに越したことはないが。