原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

悪魔。

悪魔。

 

「本は酒のようなものです。いけるひとと、いけないひとがいる。得られる感覚は天に昇るようであったりしますが、きっちり害毒であったりする。体力や時間の浪費については、言うまでもないでしょう。ああ、あと、依存性もありますね」
「『本は心の栄養』、と。小学校の図書室に貼ってあったのを思い出しますね。確かに本は心を豊かにするけれど、人生を縛り付けることにもなったりする。下手に哲学書を齧った若人が、その思想に呪われて、苦悩のうちに人生を閉じた、なんて話も、ミミタコです」
「ようは付き合い方なんですよ。飲みすぎるとダメになる。まれに、飲み狂っておきながら大成するひとがいるもんだから、みんなそれに倣ってしまう。かといって、全く飲まないのもなんだかばつが悪い。程よく晩酌を愉しむくらいが、一番穏当に長生きできます」
「『多読に走るのはいけない』なんていうひともいますね。自分で考えられなくなるとか」
「ああいう手合いは、自分が見つけたと思い込んでいる宝石を大事に取っておくのですよ。毎日そればっかりをうやうやしく眺めて、うっとりする。大抵偏屈で、自分の審美眼を疑わない。ぼくに言わせれば、彼らは不幸ですよ」
「じゃあなんです。次々と読んでいくのが幸せなんですか」
「まさか。だいたい、生きているうちに全部読みきれるわけがないじゃあないですか。言ったでしょう。酒なんです。愉しくなくちゃあだめだ。いいものを、好きなだけ。それでいて、呑まれてはいけない。まあ、結局、嗜好品なんだ。エアポケットではあるべきだけれど、本質にはなりえない。考えて御覧なさい。本を核に持つ人間なんて、そいつは化け物ですよ」
「貴方みたいに、ですか」
「ぼくは人間じゃあないですからね」
そう言って、悪魔は皿に乗せたハードカバーを齧るのだった。うっすらと黄ばんだ紙面には、色とりどりの付箋が挟まっていて、見ようによってはサンドウィッチである。悪魔はもぐもぐやりながら、洋酒なんかを呷るのだ。
「酒の肴が古書だなんて、私から見ればなかなかなゼイタクですけどね」
「悪くないですよ。なかなか味があるじゃあないですか」
こんなやりとりを、まさに古本屋の階上にある喫茶店で展開する我々であったが、これは別段、特筆すべきことではない。単なる導入みたいなものである。それっぽい会話を挿入することで、何か意味ありげな塊に昇華せしめようという、そんな魂胆がないではないけれども。
だから、冒頭として冒頭らしく、単なる事実のみを列記するならば、私はこの街の国立大に通う学生であり、目の前で本を齧っているのが悪魔であり、そしていま我々は昼間の通りを見下ろす喫茶店の窓辺の席にて相対しているという、それだけのことである。創造主的には、こうして初期条件を与えて、そこから必然的に導かれるあれやこれやを記述することで、何やら心騒ぐ、あるいは吃驚仰天膝を打つというような物語が展開されることが期待されているのだろうが、この神が死んだ現代において、ミーハーな私はこう考える。
「多分、うまくいかないと思いますよ」

 

悪魔とは何であるか。ありていに言えば、それはもう、「貴方が悪魔と思うものが悪魔なんじゃないですか」としか言いようがない。それは、多重人格であったり、単なる節分の鬼であったりするかもしれない。私の場合、今この目の前にいる痩せぎすの男が「悪魔です」と名乗ったから、彼はもう悪魔なのである。出会った相手が丁寧に肩書を名乗り、それに対して「嘘だッ!」と叫ぶほど、私はトリッキーではない。もっと言えば、私が悪魔を呼び、それに応じておどろおどろしい煙とともに現れた存在が「悪魔です」と名乗ったならば、それはもう80%くらいの確率で、悪魔なんじゃなかろうか。
意外と呼べるものですよ。悪魔。
多分、大学の図書館の、書庫の奥とかでごそごそやれば、そういう仕方がまとめられた奴は、結構あるんじゃないかしら。実際、あったし。
こんな調子の、なんというか、めんどうくさがりの私なのだが、「なぜ悪魔を呼んだのか」という段になると、意外、それは、「友達が欲しいから」という、なかなかに深刻なものだったりする。いないんですよ、友達。
世の人間は「友達なんて自然にできるよ。笑」なんて仰るけれども、私においては、これがまあ自然なことに、友達ができなかった。
一人が嫌いなわけじゃあないし、大学生活において別段不自由を感じるわけではないのだけど、だからまあ、そうやって日々を過ごしていたある日のこと、ぼんやりと眺めていたTwitterのタイムラインに、「独りが苦しい。笑顔が憎い。万物が憎い」などという過激思想をこじらせた孤独人を発見し、ヒトは一人でいるとこんなものになったりするのか、と若干の寒気を覚え、ひとしおの焦燥感を初めて実感し、「いかにして友達を錬成するか」という課題に、やっとこさ取り組むことになったのである。
なんということはない。なにごともぼんやりと受け流してきた私とて、「一人」を「独り」と書くような人間には、流石に引いたという話である。
そこで悪魔である。なんでも悪魔というものは、魂と引き換えに、願いを三つぐらい叶えてくれるという。何それすごい。
そういうことで、「三つ目ぐらいに『魂は勘弁』とかお願いすれば、万事おっけーじゃないの」という方針のもと、悪魔を呼びつけ、出てきた者が「悪魔です」と名乗り、そいつが「おなかすいた」というので、めったに行かない喫茶店に出張り、なんとまあその悪魔が本を喰らうというので、その有様を眺めながら、「そういえば本を食べるってなんか暗示的ですね」という話になった結果が、冒頭のやりとりというわけである。
とうの悪魔が齧っている本は、私が階下の古本屋で買ったやつなのだが、まあ、友達ができるのならば、安いもんじゃろう。
悪魔は上品に書物を嚥下して、ハンケチで口元を拭いながら、「美味しゅうございました」と言った。まあ、化学用の台拭きを「おいしい」という一派が存在する現代であるから、意外と古本も美味しかったりするのかもしれない。
ハンケチをしまう悪魔に対して、私は本題に入った。
「友達が欲しいんですけど」
「無理ですね」

 

悪魔は説明する。
「友達が欲しい」という願いを叶えるには、おおよそ二通りの方法があるという。
ひとつは、誰か適当に捕まえてきて、いわば人格改造によって、「わたしのおともだち」にする方法。
もう一つは、それこそ物理的に、一つの生命として、「ホモ・オトモダチ・サピエンス」を錬成する方法。
前者はなんだか悪魔的にもきわどいらしく、「今は人権の時代ですからねえ。一悪魔としては、なかなか気が進まないのです」と髭をしごく。
後者については、現状、圧倒的にリソースがたりないとのこと。曰く「一個の生命を創るというのは、これまた非常な大仕掛けが必要なのです。それなりに時間もかかりますし、第一、人間一人分の魂の対価としてはあまりにもあまりにもです」。
「人格改造ほどではなくとも、何かこう、縁結びの神様みたいな、バタフライ効果の悪魔版みたいな感じで、穏やかにできないものですか」と進言したところ、「だったら縁結びの神様に頼めばよいじゃないか」みたいな顔をされた。
「考えてもみてください。高々人間の魂一個ですよ。それっぽちで一体何ができるんです」
なんてことを言うのだろう。今は人権の時代だぞ。
「じゃあ、高々人間の魂一個でできることって、具体的にどんなのですか」
「500円を顕現させることぐらいですかね」
人間であることが恥ずかしくなってきた。
「だったら、その500円分の価値の中でできるかぎりのことをしてくださいよ」
「これはあくまで例なのです。とかく他者に関わるものは、一気にレベルが跳ねあがります。この500円だって、決して無から生じるのではなくて、どこかそこら辺の自販機の下にでも転がっている奴を出すようなもんですよ。下手に金を増やすと社会がどうなるか分かったもんじゃない」
大体、と言って、悪魔は身を乗り出した。
「あなた、魂を差し出す気なんてないでしょう」
これは痛いところを突かれた。ダメなのか。「魂は勘弁」ってのは。
「誤解があるようなので言っておきますが、何も魂でなければだめというわけではないのですよ。ただ、多くの場合願いに見合うだけの価値があるのが魂くらいしかないだけであって。基本的に高望みが過ぎるんですよ、人間というものは。一昔前の、それこそ人間の価値がバラバラであったころなんかは、王様ぐらいの地位にあれば、大抵のことはできましたけれどね。だからそれこそ、『アメちゃんが欲しい』くらいなら、さっきの本のぶんでいけるのです」
せっかく悪魔を呼びだしておいて、得たものがチュッパチャプス一個などでは目も当てられない。と思ったが、そもそも苦心惨憺の末に呼び出したわけでもないので、いまひとつ真剣になれない。どうしたものかと、半ば退屈気味にストローを齧っていると、悪魔が悪魔らしいこと言い出した。
「まあ、実際の話、対価として得るなら魂に越したことはないのです。しばらく考えてみてください。ぼくはしばらくこの街に滞在することにしますので」
なかなかに旨そうな古本屋もあることですし。と。
あくまでも上品に、そううそぶくのだった。

 

呼び出されたのだから、立案に協力してくれても良いじゃないかという私の文句に、「それは呼び出されてやったのだから、お互い様です」と切り返した後、悪魔は「悪魔の仕事はあくまでも願いの実現です。そのあたりは揺るがないのです」と宣言し、別れ際に一枚の紙切れを手渡した。
「契約書の写しです。連絡先が書いてあるので、いい案が浮かんだら呼んでください」
紙切れにはびっちりと条項が並べられており、なるほど、こいつは神様よりも頼られるワケだ、と一人納得する。
別れた後、悪魔はスッと古本屋に吸い込まれていったので、これはいよいよ急がなければこの街の古本屋は壊滅してしまうのではないかと思われた。
さて肝心の案であるが、結論から言うと、私の考え出した案はすべて撃沈された。
以降二週間弱、件の喫茶店には、やるせなさからジュースの氷をかみ砕く音がひっきりなしに聞こえたことであろう。私の歯並びは悪くなる一方であった。
悪魔は本を食みながらのらりくらりと言い訳を並べ、それがいちいち妥当に聞こえるものだから、むしろすがすがしさまでもが感じられた。
そんな悪魔とのやりとりを、心なしか「楽しい」と思い始めたある日のこと、事態は急転直下の進展を見せた。
それは、悪魔を呼びだして、ちょうど二週間が経過した日のことであった。
いつものように案を却下され、机に突っ伏し曇り空の往来をぼんやり眺めていると、突然悪魔が起立した。それはもう、悪魔的な雰囲気で。
悪魔は全身を緊張させて、喫茶店の一番奥の席を凝視していた。
そこには、一人の学生が、ひどく神経質そうな感じで、不安げに髪をかきあげながら、坐していた。貧乏ゆすりをしながら、文庫本を開いたかと思えば、スマートフォンを操作し、頬をさすったりしている。
これはもう、とても陳腐な言い方になるのだけれど、悪魔がたった一言漏らした言葉は、今も私の胸に、なんだかひどく抽象的に、刻まれている。
曰く、「醜い」。
私は悪魔の方を見て、何も知らない感じで、「どしたんですか」と問うた。
悪魔はやっと我に返ったというふうに、若干震えながら、しかしひどく恍惚とした表情で、着席した。
ぎこちなく首をこちらに回し、にっこりする。
「はは、どうやら、あなたの願いは叶いそうですよ」

 

悪魔は要請した。
「あなた、『友達が欲しい』んですよね。だったら、ぼくに一言『いいよ』と言ってくれませんか。それだけで良いのです。さあ、できるだけ、力強く」
何のことかさっぱりであったが、まあ、友達ができるなら、いいか、と。
「いいよ」
刹那、わけのわからぬ疾風怒濤が発生し、悪魔的な絶叫、及びぼんやりとした、しかし確かな安寧の断片が、私の前を通過し、喫茶店の最奥へ突進したかに感じられた。
私がぱちくりしたころには、喫茶店には静かな時間が戻っており、テーブルには、判読不明な文字列が列記された、しかし末尾に私の署名のある紙切れと、ギザギザの歯形が付いた哲学書のみが残されていた。
なんの脚色もない、純然たる事実としての、要は次の日。講義が終わり、帰路につこうという私の背中に声をかける者があった。振り返ると、そこには若干神経質ぽい、一見すると大人しめの女学生が居り、私が落としたという「単位」(これは、個人的なノートの題名である)を差し出していた。
以後、彼女とはなぜだか馬が合い、親しくするようになって、私の大学生活は、バラ色とまでは行かぬとも、せいぜい芝桜くらいの輝きを見せた。
つまるところ、私は、「友達」を得たのである。

 

付記。
生活が充実するようになって、しばらくTwitterとは無縁であったのだが、この前しばらくぶりに覗いてみたところ、あの過激な孤独者君のアカウントは、ちょうどあの悪魔が去った日を境に、更新が止まっていた。まあ、どうでも良いのだが。

 

おしまい。