2020-05-25 雑記 人情として、なんとなく哲学者には達観していて欲しいと思ってしまうのだけど、というか、哲学者というものはいざ伝記を紐解けば、達観しているというか、別の次元でぶっとんでいて、「はえー」となるわけだけれど、実際同時代に生きた人からすればそんなことは全然ないのかもしれない。 口伝されるうちに神聖化されているだけで、存外哲学者というものは俗っぽかったりするのかもしれない。 「パンのための哲学」を嫌ったSchopenhauerが、有事に際し、金袋のために自身の哲学を実践できなかったように。