童貞というのは一つの精神的枷である。
この枷に囚われた人間は、自身の劣等と醜く膨れた膿的な腫れ物に対するような自己嫌悪、現状憎悪、羨望、自己欺瞞(※)に囚われ、溌剌な精神的自由から最も離れた不潔な見世物小屋に放り込まれている。
これは一種の幻想であるのだが、周囲の、それ自体は本当にとりとめのない嘲笑がその現実性、実際性をまざまざと焼き付けるために、生涯に於いて最も払拭しがたい幻想である。
現状に満足する恵まれた才能、もしくは宗教的達観、人並み外れた精神がない限り、私はこの見世物小屋の中で自分を突き刺しながら戯ける他ない。
このような現状にあっては、何をしようと、それが一種羞恥を伴う侮蔑的嘲笑的な遊戯に堕さざるを得ないのである。
※私はここに孤独を含まない。
孤独とは、ある崇高な概念であり、そのベールは人間の誕生から臨終までを覆っているものである。
強いて言うならば、童貞の孤独は膿的な脂ぎった湿性で、老翁の孤独は乾いた安寧からの俯瞰である。
※また、童貞の絶望もまた、一種悲劇的な、報われない運命を背負う。童貞の絶望は、いわば「未熟者の絶望」「世界を、自分以外の存在との深い関わり(恋愛など)を未だ知らない若輩の奢り」と取られかねないものであり、いかに苦しもうとも、経験者の嘲笑により、それすら正当なものとみなされないのである。「おまえの絶望は本当の絶望ではない。単なる我儘であり、幼稚な遊戯に過ぎない」という経験者の嘲笑及び断言は、童貞の生をもはや否定しているように思われる。ここに於いて、笑顔の集団から疎外され、かつ絶望すら嘲笑われ否定される童貞は、私の貧しい語彙力の限りでは、死ぬしかない。