原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

孤独者ロネリネスの見聞

孤独者ロネリネスの見聞

 

 我らが孤独者ロネリネスは、名前の通り孤独である。
 彼は人並みに孤独に苦しみ、人並みに絶望し、人並みに腐った。
 ある心地の良い晴れ空の日、彼は正装―おなじみの小綺麗なスーツ―でもって往来に出た。気晴らしの散歩というか、彼が言うところの絶望的な闊歩である。
 一番人通りの多い通りの、一番華美な若者どもがたむろする辺りで、彼はいつものように発狂する。ああ!眼!眼!眼!眼!
 寂しい!辛い!そうだ、恋人にでも慰めてもらおうか。そう思いながら、我らがロネリネスは、細木のような紳士にぶつかった。
 紳士は憐れな孤独者を見下ろして、腕を掴み、引き寄せて、耳元でこう囁いた。
 「旦那、あんたは孤独ですかい?」
 「ああ、孤独だとも!独りで辛くて死にそうだ!」
 刹那、ロネリネスは路上に昏倒し、一週間眼を開けることはなかった。

 

 我らが孤独者ロネリネスは、薄明かりの照らす教会のベンチに眼を覚ました。
 教会の―本来ならば尊きキリストが架けられて居る―本尊には、夥しい釘を顔面に受ける男の木造が架けてあった。筋骨隆々、服飾絢爛な彼の、その身に似合わぬ正視に堪えない顔面の、なんと醜いこと!
ネリネスは後退り、聖堂から退散せんとする。見ると出口に細木が独り。
細木の背後の暗闇が、重く苦しく突き刺さる。
「旦那、ここに居やしたか」
「おお、貴様はあの時の!私は一体どうしてしまったのだ!」
「旦那は立派な孤独者だ。だからあっしの親分が、ぜひとも仲間に引き入れたいと」
「ははあ!さては貴様、悪魔だな!私をこうしてかどわかし、骨身の髄までしゃぶる気であろう!」
「へへへ。孤独者の身なんざ、不味くて食えたもんじゃねえ。そこは旦那、ご安心。あっしら旦那の魂を、一個の人格として尊重しますぜ」
「まさか!人間ですら、しないことを」
「人間だから、しないんですぜ。憐れな憐れな子羊どもは、自然の摂理にゃ逆らえねえ」
「ならば私をどうするのかね」
「まあまあついてきてくだせえ。地獄めぐりのマネっこでさあ。もっともここは極楽ですがね」

 

我らが孤独者ロネリネスは、蝋燭の照らす回廊を、悪魔とともにてくてく歩く。
鉄で組まれた螺旋を降りて、両脇に広がるのは永遠とも思える鉄格子の通り。
細木の悪魔はカンテラを灯し、牢獄を一つ一つ照らしながら、すたすたと歩いてゆく。
「ご覧下せえ旦那様。ここは極楽一丁目。充実者どもの醸成所でさあ」
我らが孤独者ロネリネスは、その目でまじまじと覗き込む。
牢獄に蹲るは美しき者ども。
皆一様に美形で、健全な体躯。服飾は輝かしく、およそ責めるべきところのない、哀れな囚人たちである。
「一体全体彼らは何を、したのかね」
悪魔は一言呟いた。
「彼らは笑っていたのです」

 

我らが孤独者ロネリネスは、冷たく静かな暗闇を、悪魔とともに下っていった。
降りるは原初のエレベーター。心地のよろしい駆動音が、静かな闇を慰める。
足元に対する悪魔の気遣いを受けながら、降りるは極楽二丁目通り。
吊られた橋の両側に、石造りの個室が並ぶ。
我らが孤独者ロネリネスは、その目でまじまじと覗き込む。
寂しい個室に蹲るのは皆灰色の、人間どもだ。
皆一様に凡庸で、醜くなければ美しくもない。
「一体全体彼らはどんな、人々なのかね」
悪魔は一言呟いた。
「彼らは眺めていたのです」

 

我らが孤独者ロネリネスは、星の瞬く城郭を、悪魔とともに歩いて行った。
「旦那、ここらはお静かに。非常にやんごとなき方々が、尊き任に、就いておられる」
重く古びた木戸を開けると、眼下に広がる安寧の渦。
てかてかと磨かれた巨大な瓶が、数え切れぬほど吊り下がり、いくつか黒く濁ったものが、最下の渦に、消えてゆく。
我らが孤独者ロネリネスは、その目でまじまじと覗き込む。
「ああ!なんということだ!」
孤独者は見た。およそ名状することの出来ない、醜さの塊を。
ぶくぶくと膨れたもの、いびつに歪んだもの、一見普通に見えながら、どことなくアンバランスで、かえって非常に醜いもの。
吐き気を催す中途半端。醜い欲望。原初の欲望。願うだけ無駄な唾棄すべき塵芥ども!
間違うことなき、彼らこそが、呪いに呪われた「醜人」である!
貶すに貶された「醜人」である!
純然たる敗者!
生まれながらの敗者!
膨大な、皆一様に天上を掴まんとする、崇高な徒労の権化!
吐いた。腹の中の一切を、醜き渦にぶちまけた。
涙が、悔恨が、憎悪が、呪詛が、頭の中で駆け巡る。
「一体全体これは何の、つもりかね」
悪魔は一言呟いた。
「彼らは耐えて、死んだのです」

 

さあさあ我らがロネリネス。悪魔の肩を借りながら、辿りつくのは最奥の海。
黒く荒れる、果て無き海を、我らが孤独者ロネリネスは、直視できずに俯き黙る。
悪魔はカンテラを放り投げ、微かな笑みを浮かべて振り返る。
「旦那。これが見られねえのかい」
孤独者は眼を細めて見ようとするが、すぐに俯き、えずきだす。
黒い。あまりに黒すぎる。
「ねえ旦那。こんなにきれいな海なのに、なんで御覧になられない?心地の良い、気持ちのいい絶景じゃねえか」
「ふざけるな。人間に、こんなものが見られるか」
「おや?旦那は、孤独なんだろう?だったら何で、見られねえんだ。だったら何で、さっき吐いた?醜き惨めな孤独者どもの、自我すら失せた原初の嘆きを、なんでてめえは見られねえんだ!」
悪魔は絶望的に泣き叫んだ。怒りに震えて、神すら憐れむような惨めさで、忌むべき謀叛者ロネリネスを、悪魔的に、それこそこの世のものとは思えぬ叫びでひたすらに罵った。
「悪魔め!悪鬼め!ついに本性を現したな!神の裁きを受けるがいい!」
裏切者ロネリネスの叫びは、悪魔の悲鳴にかき消される。
「『孤独者』ロネリネス!てめえがほんとに『孤独』てえなら、一思いに飛び込みやがれ!」
「黙れ!気色の悪い醜人め!飛び込むのは、お前だっ!」
忌むべきロネリネスは、つかみかかる悪魔と取っ組み合い、海の淵まで転がった。
「こんな、汚らしい世界は、貴様ら悪魔にこそ、お似合いだっ!」
すんでのところで、裏切者ロネリネスは悪魔を突き飛ばし、これまで来た道をひたすらに駆け戻った。
空間を満たす、憎しみに満ちた呪詛様の告発。
「反逆だ!」
「反逆だ!」
「反逆だ!」
「反逆だ!」
「反逆だ!」
「はんぎゃくだぁ」
初めの教会に至り、本尊を仰ぐと、そこで顔面を潰されているのは、まさにロネリネス本人であった。
憎むべき裏切者ロネリネスは、そこで再び昏倒した。

 

ネリネス氏は、病棟の白いベッドで蘇生した。
窓の外は月明かりの照らす澄んだ夜空で、窓際の夜桜がひときわ美しかったという。
特筆すべきは、彼に付き添っていた少女―これが恋人か、単なる学友なのかは、今となっては誰も知らない―が独り死んでいたという事実のみである。

 

おしまい。