原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

みんなで笑おう。

悪とは何か。

それは害意の総称である。

悪の定義が何であれ、そこには必ず他者が存在する。

孤独者にとって究極的な悪など存在しえず、悪はただ他者の想起によって起る。

一体の個人に対する害意であったり、他者の集団に対する背信であったり。

ただ独り居る時でも、悪の想起には必ず他者が介在する。睥睨する存在としての神、人格化され憎悪と畏敬を向けられる自然、純粋な個人にあって(これは純粋且つ徹底した孤独を指す)悪など存在しない。

悪はただ、他者と個人の絶望的な対立に存する。

悪の始まりは世界=秩序=系=全体からの排斥であり、そこに個人が生まれる。

 

(「memo―悪魔というシステム」より抜粋)