原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

ヘルドとハインの実験(仮)

memo

 

さて、私は確かに完璧な方法で精神を確立する方法を見出した。

私の認識、すなわち自我、私という感覚、それは単に私の脳髄、この頭の中における一切であり、だからこそ、私は極限までの精神体となって、めくるめく幻惑の世界を、まさに精神として現実的に経験することができるのだ。そこにあってはもはや私にとって醜物でしかないかつての現実は消え失せる。私は喜んで、しかし慎重に、一つ一つの感覚器官を切除し、しかるべき精神体へと進化するプロトコールを確立した。

腕はいらない。もはや現実的な生活的な運動しかこなさぬこの肉塊。末端に付属したこの醜いグローブのごときシルエットは、私の人生に嘲笑という恩恵しかもたらさなかった。

脚はいらない。腕と同じような醜い肉塊。特筆すべき運動能力があるでもない、この機能的に貧弱極まりない器官は、ギムナジウムの運動修練における私の劣等を証明するだけの物だった。

胴体はいらない。この頭蓋に比してひどく貧弱かつアンバランスな物体は、悉く私の美的感覚に、いや、人間の美的感覚に反するものであり、私はただ太陽の下を歩くだけで、この歪な肉体の織り成す見るに堪えない影法師におびえなければならなかった。

耳はいらない。私の鼻にかかった聞き苦しい醜声は、すべてこの耳が無ければ、まさに自分を不幸ににも覚知してしまうこの器官が無ければ、その醜さを知ることがなかった。同様の理由で、このおぞましい発声の源である声帯、口、喉もいらない。

眼もいらない。これこそが諸悪の根源だ。汚らわしい現実的現実を私に認識せしめ、さらには私自身を鮮烈に意識させる悪魔の器官。目に映るすべては私を嗤い、一切は私を苦しめるためだけに環境をなす。この肉体的認識の端緒たる器官こそ、あらゆる人間の不幸の根源である。

そのほか、歪な頭蓋、膨れた鼻孔、不潔な毛髪等々をことごとく取り払う、素晴らしい計画を私は設計した。その為だけに労働し、学問し、この何の価値もない、気に掛ける道理もないくだらない現実世界を生きながらえた。その期間を通じてさえ、何かの肉体的充実、生活への慈しみといったものが私に起ることはなかった。いやいやながら人と交わったところで、得られたのはわずかでも期待することの愚かさと、肉体的人間の醜さだけだった。

 

その日が来た。私は手術台に横たわり、忌々しい己の肉体に、呪いの籠った最後の一瞥をくれてやったのち、システムの電源を入れた。四肢の感覚、そして私の生の肉体的感覚が次第に薄れていく。おそらくは今まさに取り払われつつある私の肉体に、心—それは私の本来の肉体、精神だ—の底から、「ざまあみろ」と思いながら、私は次に目覚める素晴らしき幻想郷について思いを馳せた。そこは望んだ思念がまさに現実である世界、私の私に依る私のための認識、永久につづく幻想のなかで、私という人間はなによりも人間的な自我を鮮烈に発露させることができるのだ…。

 

めくるめく幻惑の桃源郷の想起を抜けて、私は目覚めた。現実—それは今や私にとっての仮想世界である—における私は、今頃は一つの思念器官として、生命維持のための最小限の臓腑とともに、安定なゆりかごの中で静かに駆動しているはずである。そしていますぐにでも私の眼前に現れるであろう世界は、幼い私が夢想した満ち足りた幻想郷であるはずなのだ。

しかし、いつまでたっても、眼に見えるものは何も生起しなかった。暗闇。便宜上そう呼称することしかできない、もはや空間ですらない空間に、私は浮遊していた。どれくらいの時間が経ったのか。これがいつまで続くのか、その見込みは、今の私には全く想起することの出来ない性質のものだった。私は、既にありうべき時間感覚とは決別した身なのである。漠然とした、感覚ではない意識のなかで、私はかつての大学における少ない友人の言葉を思い浮かべた。「白痴」を自称するその孤独者は、常々こう嘯くのだった。

 

「幻想とは、人間を魅了する美しい化け物どのも領域だ。悲しいかな、我々は何処まで行っても人間であって、その化け物どもに与することはできない。他ならない我々が、その化け物を『幻想』と名付けて、現実の彼岸に封印してしまったのだから」

 

少なくとも今のところ、私が何かを「認識」する兆しは感ぜられない。

感じるとは何か。その手がかりさえ見えないこの無感覚の大海で、私はただただこうして思考している…。

 

memomemo

 

ヘルドとハインの実験は現実のところのものですが、「たしかこういう話があったなあ」程度の所感で、ほとんど覚書のような感じで書き留めたものですので、正しい認識とは言い難いです。然るべき確認をしたのち、もう一度清書して投稿し直すかもです。

とりあえず、仮ということで。