原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

愚者

 

 序

 

私には、憧れる人があった。

その憧れは、一個の灯として、私を生かしていたのだ。

 

 1

 

私がまだ学を知らず、生まれ育った小さな農村で、祖母の手伝いをしていた頃の話である。私を慈しみでもって育ててくれた祖母は領主さまの屋敷に仕えており、そのかどで、幼子である私も、祖母について行っては屋敷のおてつだいをするのである。

屋敷は、自我のない小童である私をして黙らしめるほどの厳粛さに満ち満ちており、見上げるほどの頑強な体躯を備え、気品ある豊かな白髪白髭を蓄える領主さまは、屋敷に見劣りしない聖人的な性格と振る舞いでもって、村人たちから慕われていた。女手一つで育てられた私にとって彼は、いや、「領主さま」は、子供じみた私の言動を厳しく諫める一方、時たま褒め言葉とともに菓子をくれる、父親のような存在であった。彼は、戯曲に登場する悪辣な領主が馬鹿馬鹿しく思えるほど、慈しみに満ちていて、それは特に子供たちに向けられるものだった。一途な人間である私が、土壌たる祖母の由来だとすれば、その自己に対する厳格ともいえる人格は、明らかに彼由来のものだろう。

屋敷には、―それは私が分別のない小童であることに依るのかもしれないが―「決して這入ってはならない」と命じられている離れがあった。その脇が薪割り場になっていたこともあり―薪を割るおじいさんをねぎらいに、お茶などを持ってゆくのは、男の子というよりは、女の子の仕事でしょう?―、這入ることはなかったが、その存在は私にとって見慣れたものになっていた。普段はカーテンが下ろされていて、覗き見ることすらかなわなかった。

その離れの、言わずもがな普段は固く閉ざされている扉が、ある日半開きになっていたのは、学生の頃の私ならば「天啓」と表現したであろう出来事だった。もし手に抱えたお盆が室内に転がり込むことがなければ、決して這入ることはなかった。誓って這入る気はなかった。最初はただ、扉を閉めようとしただけだ。褒められたくて。

離れの内部は書庫になっていて、埃が充満していた。書棚には名だたる歴史書・理学書・哲学書が並んでいて―これらの真の価値は、学生になって初めて理解したのだが―、荘厳な景色に私は圧倒された。

そのときだった、乾いた紙面に筆を走らせる音が聞こえた。「だれかいる」という所感を持つ前に、私はその小気味良い旋律の虜となった。部屋の奥へ進む。その最奥には、ステンドグラスが輝いていて、そこから差し込む午後の日差しに照らされて、そして日差しを受けてきらめく埃を星々のように漂わせながら、独りの老人が書き物をしていた。見上げる体躯と美しい白髪白髭は、まさしく「領主さま」のものだった。少なくともそう思った。しかしその所感は目の前の叡智の前にあっては取るに足らないものだ。光がきらめき、老人と眼が合った。眼は深い、深い思慮の闇に隠されていたが、直接見ずともその眼前の世界を睥睨するまなざしは私の心臓を掴んで離さなかった。尤も、私は何も言うことができなかったし、上述の神々しい形容をその場でつらつらと展開したわけでもない。その時の私は、単に、純粋に、この老人を「美しい」と思った。この所感は次の瞬間には「こうなりたい」という憧れに転化した。憧れという感情を、非常に個人的な次元で自覚したのは、このときが最初で、また最後であった。思えばあの時、熱狂的な憧れでもってあの神々しい老人に自身を投影していなかったならば、私は訳も分からず狂い死んでいたかもしれない。

いずれにせよ、私は意識を失った。

 

 

高熱でうなされた三日三晩のうちに、私は夢の中で再びあの老人と邂逅し、いくつか言葉を交わした。老人の容姿はまさに「領主さま」のものであったが、人格の面で言えばまるで別人というべきものだった。いや、断言できる根拠はない。強いて言うならば、私が「領主さま」に向ける観念は尊敬であり、老人に向ける観念は畏敬であったということだ。そして尊敬は包み込むものに、畏敬は手を伸ばして尚届かぬものに向けられえる。老人は学問について、学び修めかつ永遠に究めることについて、それに付随する喜びと、それによってしか得られない真に人間的な境地について、穏やかに、しかし確固たる信念を漂わせながら語った。私たちは暖炉が赤々と照らす小部屋にあって、学び究めることの愉悦、及びその蘊奥について、永遠とも思える時間、語り合った。私が拙く尋ねると、彼はその真意を捉えた上でかつ想像をはるかに超えた豊かさを帯びる答えを返してくれた。考えることは至福であり、また特権であることを、私は知った。

私は目覚めた。人間として、その眼を開いた。祖母は安堵した。言いつけを破ったことについて、「領主さま」に謝罪しなければいけない。そう伝えると、祖母は首をひねった。私は薪割り場に倒れていたのであり、彼の離れの扉は一度たりとも開いたことはないとのことだった。祖母を心配させてはならない。私は離れで、そして夢うつつに見聞きしたことについて、決して口外しないことを自らに命じた。

日常が戻った。しかしそれは緩やかに、そしてはっきりと前進する日々であり、私は目指すべきものへ飛翔するために、自覚的に動いた。屋敷での小間使いの合間に本を読むことを始めた。屋敷の書斎は広く開放されており、農民の子でありながら、そして女でありながら興味を示した私に対しても、それは同じだった。領主さまは私を褒め、字を知る召使い―彼に仕える人々も、皆私に優しかった。これらはひとえに主人が聖人であるためであろう―が私に読み書きを指南した。

数年後、私は村を出、誉ある学府に身を置くこととなった。病に倒れた祖母のこともあり、はじめは医学を志したが、祖母本人の遺志により、農学を究めることになった。領主さまの援助の下、いずれ村に戻り、己の叡智でもって恩義を返そうと、そう決意した。

学府は素晴らしい場所だった。そこに巣くう寄生虫どもを除いて。

 

 

人間の究め知りたいという学的本能、それが人間誕生の時から運命づけられた、人間固有の業じみたものなのか、はたまた何千年ももがくように生存し続ける中で自然と培われたものなのかは誰にもわからない。ともかく、いつの時代も眼前に広がる疑念の海を前にして興奮に打ち震える人種が存在し、彼らはある時は集い、またある時は対立しながら、その探求の歴史は確実に積み重なっていった。王が、あるいは為政者が、その膨大な叡智に期待を寄せ、彼らを優遇し、「真に」自由なる探求の場を与えたのは、後にも先にもほとんど奇跡といってもよいだろう。ともかく、私がその城門をくぐった都市は、皇帝の名の下に国中の知識が集積する学都であった。

私は感動した。石造りの城塞にも似た広大な学び舎の偉大さに。この世全ての叡智が秘蔵されているとも錯覚させる、荘厳な書物庫に。そしてそれすらも我々の知りうる現象の断片にすぎないのだと、我々はそれに挑むまさに最前線に立っているのだと豪語する教授陣に。私は歓び勇んで数多の講義に出席し、貪るように読み、休日は研究室に押し掛けた。

私は学ぶためにここに来た。叡智を究め、人間として完全を目指すために努力し、学的な充足に満ちながら、同時に数多の人々を己が力で救済する。それを夢見て、寝る間も惜しんで机に向かった。

そんな私の背中に、唾棄すべき視線が集中した。

この学都に集う他の学生たちは、私とはまるで違う背景をもってそこに立っていたのだった。ほとんどが王族貴族といった名家の出であり、ハナから学問には関心がなく、あるものは親の言いつけでそこに立っていたり、形だけ学を修め、この素晴らしい学都を出た後のことばかりに腐心し、今を見ない者も多かった。そういう「高貴な」血筋の学生の周りには夥しい取り巻きができ、彼らのご機嫌取りに明け暮れ、取り巻き同士で対立したり、あろうことか虎の威を借りて尊敬すべき教授にケチをつける者までいた。

心優しい領主さまの援助でもってかろうじてここに居るとはいえ、元が貧しい農村出で、かつ女であるものなど、孤立するに決まっていた。私が独り学問に精進する間、彼らは飲み歩き、その酔いどれの姿でもって講義に堂々と遅れて闖入し、瓶を投げる。

そういう精神が下賤な者どもは、ときおり下劣な侮辱を浴びせてくることもあったが、まだ耐えることができた。彼らは歓楽主義者で、こちらが尊大な態度でもってだんまりを決め込めば、そのうち飽きて別のおもちゃを探しに歩くのだ。もとより堕落した放蕩もの集まりに対しては、ここが純然たる学府であるがゆえに、精神的優位に立つことができた。それに、我が心に住まうあの老賢の印象は、学問に向かう私の精神を常に鼓舞するのだった。

我慢ならない者どもは他にいた。すなわち、政治かぶれのスノッブどもだ。我が学的探求に実害を及ぼす点で、こちらは堕落主義者どもより質が悪かった。

政治に関しては、それが進むべき道にいかに影を落とすかについて、私も少なからず関心があったし、学問としての政治哲学には、はじめは純粋な興味を向けていた。しかしそれに熱烈にかぶれた若者たちのふるまいは、目に余るものがあった。奴らは団体をつくり、構内のいたるところで支離滅裂な演説を繰り広げた。支離滅裂というのは、そのほとんどが対立する団体の罵倒であったり、同じ文句を繰り返すばかりの中身のないものだったからだ。奴らは学問する場をけたたましい泥仕合の舞台に堕さしめていた。極めついては、その「偉大な」政治主張でもって、講義を妨害するのだ。講義の最中にそれらしく武装して乱入し、教授を押しのけて主義主張を喚きたてる様など、見ている、否、見せつけられているこちらが、援助してくれる領主さまに申し訳なく思うほどだった。歯向かうものは徹底的に付け狙われ、私も何度か大学寮を叩きだされたりした。「偉大な」主張とやらの為に怪我を負わされたのも二・三度どころではない。

そういった図々しくも学府に巣くう寄生虫どもから逃れるうちに、私は孤立した学生が殺伐と身を寄せあう一角に足を踏み入れた。大抵は無気力な堕落主義者といった趣で、とても直視できる代物ではなかったが、独自の、というよりは独善的な学的志向を持つ者もわずかにいて、そういった輩と二言三言言葉を交わすうちに、私は哲学を知った。

当時最も顔を突き合わせることの多かった者にHというのがいて、彼は孤立者の中でも特に堕落した部類に居たが、その偏った哲学知識は聞いていて飽きることがなかった。

彼は「歪んだ」思想をねちっこく展開していて、自らを「醜人」と呼び、その概念を軸にした醜人救済の教義をさながら御伽噺でも語るかのように開陳した。彼曰く、これは確固たる信仰ではあるが、徹底的に個人的な物である点で、従来のいかなる宗教的教義より健全であるという。なんのことはない、結局は病んだ若人の熱に浮かれた馬鹿馬鹿しい妄言だ。私は勉強(及び唾棄すべき者どもへの呪詛)に疲れた時、彼を訪ねて盲目的に駄弁ったりした。

別れ際、彼は決まってひどく自嘲的に

「ぼくは醜い。愚劣なほどに醜いんだ」

と嘯くのだった。私はぼんやりと笑って暇を告げるのだ。内心で「絶対にこうはなるまい」あるいは「こいつよりはましだ」と確信しながら。

渇望と激動の学生生活にあって、どのような耐え難い苦境にあっても、私は漠然とした無気力に陥ることだけはなかった。なぜなら、私の胸の奥底では、いまだにあの日見た神々しい老賢が永遠の思慮に沈んでいるのだから。

 

 4

 

6年が過ぎた。私は自他ともに認める知識と技能を身に着け、学府に残るように勧める恩師に涙ながらに別れを告げて出立した。目指すは故郷。私の悲願たる己が叡智での恩返しを実行するために。それは学府にて辛酸をなめた以上に長く苦しい道のりになろだろう。しかし私には未開を切り開く胆力と知識がある。生きながら学ぶことの溌溂たる愉しみは、実際に学びを知ってからも色あせることは無かった。たとえ場所を移したとしても、この燃えるような憧れが消え失せることはないだろう。かつて見た、神々しい老人が独り思慮に沈む図は、学府を出ても未だ瞬き続けている。あの日の出来事は誰にも口外していないが、郷里の土を踏んだならば、もう一度あの離れの閉ざされた扉を叩いてみるのも一興かもしれない。

浮かれた心を落ち着かせるのに苦心しながら、車窓はのどかな春の田園を写し始める。

列車から降りると、屋敷に仕えた祖母の知人たちが熱烈に歓迎してくれた。すっかり腰の曲がった老婆―幼い私に読み書きを指南してくれたひとだ―が、人間として成長した私の姿に涙を流した。私もつられて目頭が熱くなる。微笑ましい人だかりの中で、誰かが口火を切った。

「領主さまも、貴女の帰郷を心待ちにしていたのです」

私は屋敷へ急いだ。

春の花々が誇らしく咲き乱れる庭を望む窓辺。領主さまはすっかり老け込んで、しかしはっきりと私を見据え、そして笑った。

「おかえり」

父親のようなその懐かしい声に、私の目頭は限界を迎えた。

屋敷に仕える人たちは皆家族のようなものだ。それはひとえに孤立した農村という環境がそうさせるのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。私はただ、この生まれ育った村のみんなに恩義を返すだけだ。そしてそれはとても幸せな日々になるだろう。学府には己が将来に絶望する愚か者も多くいたが、それは私には縁遠いことだった。心安らぐ環境、心優しい家族同然の人々、そして生涯の宝たる学問―。

領主さまは、私の帰還を祝って宴会を開くことを提案した。援助を受け、そして学を修めて戻ったとはいえ、元はといえば私も一農民にすぎない。辞退しようとしたが、それこそ領主さまを筆頭に皆「そうしましょう」の大合唱だ。私は非常に申し訳なさそうにしながら折れた。

皆が準備をしている間、私はあの離れの扉の前に至った。今もありありと思い出せるあの賢老。ひょっとすればあれはただの幻想だったのかもしれない。しかしたとえそれが幻想であったとしても、この憧れは清々しいほどに現実だ。そして、幻想に対するあこがれは、現実に対するものよりも永遠で、どこまでも昇ってゆけるものだ。

私は扉を開いた。

黴臭い淀んだ空気が流れ出る。

ステンドグラスがくすみ切っているのか、室内は驚くほどに薄暗かった。

はやる気持ちを抑え、私の眼は書棚を撫でる。

幼いころ、その書名をついに読むことのできなかった書物たちの背表紙は、まるでミミズがのたくったような線で満ち満ちていた。

…これは文字といえるのだろうか。

恐る恐る本を手に取る。デザインは、確かにあの高名な〇△という書に酷似しているが、その中身は徹頭徹尾、読めたものでない乱暴な書き損じの羅列だった。

なんだこれは。

そのとき、部屋の奥からひどく鈍い、何か物の落ちる音がした。

私は壁伝いに進む。

奥に進むにつれ、黴の臭気は鼻を突く異臭に変わっていった。

埃はより厚く積り、何層もの蜘蛛の巣を破りながら、期待が焦燥に変化するのを漠然と実感しながら、私は進む。

部屋の最奥。

「ああおう、んはは。にににぃ、でぁああうー」

弱弱しい蝋燭の灯に照らされて、「それ」は呻きながら蠢いていた。

排泄物とも吐瀉物とも知れぬ汚濁にまみれながら、汚れ切った原本を、一心不乱に写し取っている。否、写し取っていない。乱暴に握った筆を、紙片に叩き付けているだけだ。伸びるに任せた髭と白髪、口から垂れる粘液を顧みることすらせず、せき込むように嗤う。理性のない嗤い。そのシルエットは朧げに領主さまと同じ原型を持つように思えたが、これは人と言っていいのか。

ごきごきと異音を立てながら、それはこちらを見遣った。眼が合う。焦点の合わない、湿り淀んだ暗い眼窩。それは吐くように嗤った。灰色の吐瀉物を吐き出しながら、さも楽しそうに蠢きながら嗤うのだった。

そこに居たのは、弁解の余地なく、独りの老いたる白痴じみた何かだった。

「あー…」

無意識に声が漏れる。

「ああああー…」

これが私の憧れ。

「ああああああああー…」

私の、生きる灯。

「ああああああああああああー…」

あの、常に私の精神を支えていた、神々しい老賢。

「あああああああああああああああああー…」

学問の蘊奥。究めることの愉悦。人間としてあるべき尊厳。

「あああああああああああああああああああああああああー…」

全身の力が抜けてゆくのを感じた。下手をすれば、失禁していたのかもしれない。

背後で、扉の軋む音がした。這うようにして、入り口を見遣る。

扉はまさに閉められようとしていた。そこには、微笑みを浮かべた領主さまと、村人たちの姿が。何かを呟いている。何だろう。

「みてし……た……ね。しよ………ない。」

どうでもいい。こんな白痴はおいておいて、みんなでお祝いしよう。

這うように…もはや這って這いながら、私は光射す入り口に向かって蠢いた。

どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。

扉は閉ざされた。すべてが闇に包まれて、それきりだった。

こういうのを、なんというのだっけか。

醜人?

そんな馬鹿な。

ああ、いや、ははは。

どうでもいいや。

 

付記

 

例えば、こういう天使がいたとする。

本能的な良心から、道を決めかねている子供にまばゆい幻想を啓示し、燃え上がる情熱を後押しして、一仕事終えたとばかりに、あとはすべて投げ出してしまうような、そんな慈しむべき天使が。

憎むべき悪魔は、まさかそんな無責任なことはしないだろうから。

尤も、我らが尊敬すべき女史が言うように、どうでもいいが。

 

 

 

おしまい。

 

 

 

完成させることが大事って言われているかもしれないので完成さしてみました。

しかし、いっつもどうでもよくなっていますね。

あと、もっとふんわりした楽しげなお話を書きたいですね。