私が、一般に「悪い」と言われていることを人にする。
つまりは、他人に危害を加える。
すると私は(当人、あるいは関係者から)憎まれるだろう。
私は同じように危害を加えられるかも知れない。
あるいは、憎しみでもって、より苛烈な復讐を被るかも知れない。
私は上記を恐れる。私は危害を加えられたくない。
私は、「復讐されること」を恐怖する。
ゆえに、私は他者に危害を加えようと欲しない(私的な嫌悪から、するべきでないと想起する)。
以上のことは、およそ「道徳」という名で呼ばれているものがもたらす結果と同じではないか。
さらに言えば、「道徳」という名で擬装されているもの。あの独善的観念が真に本質としているのは、このあまりにも利己的な嫌悪や恐怖なのではあるまいか。
考えなければならない。