原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

成し遂げるということ

あることを成し遂げ、報われないとする。

 

それについて、あらゆる感傷を抱くことが許されるのは、自分自身のみである。

それについて、自虐できるのは、自嘲できるのは、文字通り自分のみである。

あることを成し遂げるとは、そういう特権を手にすることである。

 

努力は、結果に支配される。

 

しかし、

「成し遂げる」ということは、徹底的な自己満足の内に特権をつかみ取ることである。

報われれば嬉しかろう。

報われなければ悔しかろう。

無念であろうし、やりきれないだろう。

しかしその感想を抱くこと、嘆くこと、自嘲すること、自虐することは、成し遂げた者の特権なのだ。

 

他の誰も、汚すことの許されない特権であり、そこに「他者」という穢れた存在は侵入できない。

 

慰めはいらない。感情的に要らないのでなく、許されない。

そこは、「成し遂げた者」の国だ。

他者は失せろ。

特権を汚すな。

 

成し遂げた者は、存分に暴れるがいい。

自分が成し遂げたことに対して、何をしたって良い。

自分のみに許された特権なのだから。

それに口出しをする他者は、殺してしまえ!

彼らは、自ら進んで生存権を放棄したのだから!

「成し遂げた者」の国に侵入するということ。

他者であることを、生きた人格であることを捨てた無礼講を、死でもって償わせてやれ!

ここは、我々の国だ!