原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

僻み。

少なくとも個人主義者にとって、他人の幸せを祝うことは決して義務ではあり得ないし、むしろ相対的に自分の幸せが貶められているにも関わらずそういうことを要求されるのはもはや狂気の沙汰である。

他人の幸せを自分の幸せのように祝える人は、少なくともその点で十分幸せな段階にいるのであり、少なくとも自身が不幸であると嘆くことは許されない。いや、嘆いても良いが(※)そこに正当性はなく、他人の幸せすら祝えない敗者の山に呪い殺されることを覚悟せねばならない。

※全てにおいて、「〜してはならない」という言明は決して禁止を強要する力を持ち得ないが、その言明をあえて犯すならば一切の正当性、合法性の庇護の下からの脱落を覚悟せねばならない。そしてそれは、足元に転がる無数の敗者の屍の暴力的な怨恨憎悪のもとに全裸体で飛び込むことを意味する。