原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

人付きあいが苦手であることをあたかも病理であるように語る人間がいるが、それこそ自らが属する「社会」が標榜する「多様性・個性の尊重」の否定という(自らが属する多数派の基準の押し付けと、少数派あるいは自己以外を病理と断じて排する)自己撞着であることに何故気がつかないのか。

そのような否定は、まず自らの足場を破壊してからでなければ、全く空虚な戯言に過ぎない。