原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

老人とぬいぐるみ

 

 

その痩せた老人は一人であったが、独りではなかった。

彼は旅好きで、昨日は東で明日は西といった具合に、あてどなく国々を巡ったものだ。

そんな老人は、常に一人であったが、独りではなかったのである。

彼の旅は、いつもぬいぐるみとともにあった。

故郷の街一番の寂しがり屋であったその老人は、子供ぐらいの大きさのぬいぐるみを、いつもザックに入れて持ち歩いていた。

景色が良いところではぬいぐるみを取り出し、座らせて景色を見せてやったり、絵にかいてやったりした。

こんな旅を何百年と続けていたが、ぬいぐるみはいつも生まれたてのような柔らかさを保っていた。

老人のまめな繕いによるものであろうが、その柔らかい手触りは、さながら一個の生命のような温もりを持っていた。

彼はぬいぐるみに語りかけ、ぬいぐるみに笑いかけ、時にはおんぶをしたり、肩車のまねごとをしたりした。

勿論それは側から見て奇異であり、旅先の子供たちにからかわれたり、ひどいときには狂人として迫害されたりするのだ。

しかし、そんなことは彼らにとっては問題でなかった。

 

最晩年のある夜、月が照らす静かな高原で、彼らは見えない星を眺めていた。

老人は微笑みながら、そしてぬいぐるみをやさしくなでながら呟いた。

「ぼくはね、いまとても暖かいんだよ。独りでいる頃はね、いつも寒くて、いつも凍えていたんだ。けれども、今はとても暖かい。ぜんぶ君のおかげだよ」

ぬいぐるみは答えなかった。

けれども、そこにあるのは一つの閉じた幸福の姿だった。

ぬいぐるみは、老人のことが大好きだったのだから。