原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

memo日記。

「例えばさ、ある男子学生の前で、一人の女子学生の実験予習ノートが褒められたりするわけだ。TAさんなんかが集まって、へぇ、すごいとか囃すんだね。

「じっさい、その出来は立派なんだ。横目に見ただけでもよく考えて作りこまれていて、それなりの時間と労力の結晶で、褒められるという現象一個とってみてみれば、それはとても妥当なものなんだ。

「だからかな、その学生は、確かに軽い予習はしてきたけれど、その女子学生の出来には遠く及ばないことに恥じて、良い意味で嫉妬して、私もより精魂込めて、身になるものを作らねば。と考えるわけだ。

「じっさい、独り遅くまで学部棟に籠って、足りない知識を補充して、じっくり考えて、字は汚いけれど、表現は稚拙だけれど、確かによく考えられた素晴らしいものをこさえて実験に臨むわけだよ。

「けれどね、彼が褒められることはないんだ。決して、絶対に、未来永劫。

「何故って?

「それは彼が男だからさ。それも大して見るに値しない、平凡な、あるいは若干歪な容姿の男だからさ。

「ぼくはその女子学生の努力を否定はしないよ。実はたまたま同じ場面に出くわしたんだが、確かにあれはよくできていた。ぼくには逆立ちしたってできない。彼女はきっとやる気に満ち満ちていて、将来は立派な研究者になることだろう。

「幸せになることだろう。

「ぼくと件の男子学生君との違いは、それを妬んだか妬まなかったかというところぐらいだ。

「しかし、その女子学生がわざわざあの場面で『褒められた』ってのは、断言してもいい。彼女が女であるからさ。しかも小柄な女だからさ。

「だからもしあのとき、件の男子学生と女子学生が、まったく同じクオリティの実験ノートをこさえてきていたとしても、褒められるのは女子学生だけだ。

「これは偏見じゃない。勿論、書き手にとっては偏見だろうが、ぼくにとっては目の前で起こった純然たる事実さ。

「少なくとも、あの男子学生君があの場で『褒められたい』と望むなら、要求されるクオリティーは遥かに高いものとなるだろうね。

「ぼくは知っているんだよ。これまでのことも、そしてこれからのことも。

「件の男子学生君は、この悔しさをばねにしたんだろうね。さらに勉学に打ち込むようになった。いつか認めさしてやる、とね。

「素晴らしいことじゃないか。本人から見ればひどく理不尽なことなのに、ひねくれることもなく、まっすぐに、健全に、人間として正しく努力している。ぼくは独り拍手を送りたいね。

「けれど言った通り、彼は死ぬまで誰にも顧みられることがなかった。

『彼は毎日、昼も夜も、独り大学に籠って熱心に勉学に明け暮れた』

「文章に起こしてみれば、とてもまねできることじゃない。本当に立派なことだ。

「だけどぼくは知っているんだ。彼が側からどう見られていたのかを。

『深夜の学部棟で独りぶつぶつ言っている。見た目も不潔でテキトーで、ひどく惨めなきしょい奴』

「それが彼を見た人間の評価だ。名前すら知らない、見知らぬ学生に対しての、ひどく自然な評価だ。

「近くで駄弁りながら、彼のほうをちらちら見ては嗤い合う学生の集団をよく見たものだよ。

「やっていることは、ひどく真面目なことなのにね。

 

「くどいようだが、結局、彼は誰にも褒められることなく、それどころか時には貶され馬鹿にされながら、愚かに惨めに死んでいったわけだよ。

「何がいけなかったんだろうかって?

「何も悪いところはないのさ。

「とりたてて『悪い』と指摘する要素なんて、どこにもなかったんだ。

「いや、原因はある。少しばかり容姿が醜かったところとか、字が汚いところとか、滑舌が悪くて、鼻声で、人と話すことが苦手であったところとか。

「けれど、君はそれを『悪い』と評するのかい?彼の属性を、彼のあるがままを。

「いや、確かに美しくなることは、見るに堪えるようになることは、努力の賜物であることだろうさ。

「けれどそうしてしまったら、彼が学問的に成長することはできなかっただろう。彼は学問的に認められたかったのだから、それに集中するのは必然さ。

「じっさい彼は学問に向いていた。全振り、とでもいうのかな。あちこちつまみ食いしていたら、きっと誰も彼の地点まではたどり着けないさ。

「その業績にしたって、結局は誰の知ることろにもならなかったわけだが。

「彼は悪くない。褒められたい、認められたいと願った彼は、何も悪くない。ただ人に認められるにあたって、方法にちょっとした誤りがあったぐらいのもんで、あんな惨めな死に方をするような人間じゃあ、断じてない。

「ただ事実として、『人に認められる』『褒められる』といった目標には、その分野に特化するだけではちょいと足りないという、いうなれば、人間に眼がある以上、あらゆる領域にルッキズム的要素がはびこるのは致し方がないという、それだけのことさ。

「それだって『悪い』と論じる気はさらさらないよ。ぼくはただ事実を言っているだけさ。

 

―「ああ、ところで例の女史、立派な科学者になれたどころか、良い夫と子宝に恵まれて、最後はひ孫に囲まれて大往生したそうだ。

―「ぼくはそれだって一概に幸福の典型だなんて断じるつもりはないが、少なくとも彼は、これをして幸せと考えるだろうね。

 

「ぼくはただ、なんであれ、頑張った奴にはそれなりのご褒美が必要だという、どこかの国の信仰に共感するだけだよ。

「たとえそいつが、見た目も不潔でテキトーで、ひどく惨めなきしょい奴だったとしてもね。

「だからぼくはここに居るんだ。

「彼を迎えに来たんだよ。

「彼のような人間が、彼のような人間だけがいける、そんなところがこの暗闇にはあるんだよ。

「いや、長くなっちまった。表で彼が待っているんで、ここいらでぼくは行くことにするよ。

「彼は優しいから怒らないけれど、十分待ちに待ったんだ。これ以上待たせるのは忍びない。

「では、さらばじゃ。息災でな。

「え、ぼくは何者なのかって?

「当てて御覧よ。

 

「いや、違うね。天使なんかと一緒にしないでくれたまえ。

「ぼくはきみたちが云うところの、

「ただの悪者なんだよ。