原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

メモ

学問の檻のうちにある思想は、如何様にも解剖できる。徹底的に暴かれ死体と化した上で、一般に膾炙する。

しかし檻を抜け出て運動と化した思想は、もはや手に負えない猛獣であり、人々はまず恐怖でもってそれらを駆逐せんとする。

無学ゆえ断言はできないが、長く続くような体制や思想は前者を経たもの、あるいは前者に甘んじるものであり、かつての共産運動、ファシズム、またラディカル・フェミニズムなどの急進的思想は後者であるのではないか。

客観的な批判を排し、仲間内での聖典礼賛に終始し、破壊的な弾圧運動を展開する。

それらは恐怖すべき獣であり、受容を吟味する前にまず射止めて息の根を止めねばならない。

人は死体の解剖にしか安心出来ず、冷静になれない。