原田のゴミタメ。

私が語ることは、すべて接頭に「私にとって」が与えられねばならない。我儘で、自分勝手で、醜く幼い私の誇大妄想。私的な論理の飛躍は決して万人に敷衍されてはならないが、万人が私の妄想を否定したとき、もはや私には生きる必要がないと思われる。せつに、そう思うのである。

ある別の、一見より重篤な不幸があるからと言って、今自分の抱える不幸が和らぐことも、軽くなることもない。

不幸はあくまで自分自身に根付くものであり、他人との比較から生まれはせよ、他人の不幸が打ち消せるものでもない。

現に海の向こうで何万の無垢な子供が飢え死のうが、日本に暮らす子供の「人参が食べられない」という苦しみ、不幸は依然として不幸のままであり、これらの不幸は完全に独立である。一方の不幸が他方の不幸を無効とすることはないし、あってはならない。

一度生成した不幸は完全に自分自身に属し、比較されることはない。

その点で、ありとあらゆる不幸は平等である。